2011年10月15日土曜日
10/14 国民投票2
複数性。ただ一つではなく、複数の歴史/アーカイブを参照すること。子供たちの人格の複数性。友敵図式に陥らないための複数性。「ひとつのものが同時に複数であること」を受容すること。プロセス/裁判は複数のものの衝突/交差/遭遇においてしか生じない。
2011年10月14日金曜日
10/13 国民投票1
ギリシャ喜劇・悲劇は共同体の制度のど真ん中にあった。シェイクスピアもラシーヌもゲーテも権力のど真ん中にあった。現代演劇はそうではない。特に日本では趣味の共同体にとどまりかねない。演劇がなにを「アーカイブ」として参照して作品化するかが重要。それはどこに観客席を見出すかとほぼ同義。
演劇は現実政治のプロセスとは別のプロセスを描くことで政治を「制御/拡張」してきた。その実効性が認められていたからこそ、演劇は権力の制度のど真ん中に位置を占めていた。現代演劇はもはやそうした地位にない。だが社会で通用している合理性を拡張・補完する機能は果たせる。
というか、フーコーが渡辺守章との対談で述べたように、そもそも現実政治自体が必ずしも合理性を徹底するものではなく、政治は「劇場」をつくる。演劇が合理性を拡張・補完するとは、政治やマスメディアがつくっている「劇場」とは別の「劇場」をつくるということ。
今は「合理性の拡張・補完」のチャンス。お金より物語や詩に救われるとか、証明はできないけど死んだ人のことを考えた方が社会がうまくまわるとか、「新たな慣習」が生まれる可能性がある。「合理性」が本来秘めている豊かさの展開こそ、芸術や言論が現在取り組みうる最も面白いテーマの一つだと思う。
今日は国民投票プロジェクトに行ってきて、直接の感想ではないけれど、最近の関心に引きつけて書いてみた。政治には政治の「観客論」があるわけで、それとは別の、あるいはそれを拡張/補完/制御する「観客論」の可能性を演劇はもっているということ。
演劇は現実政治のプロセスとは別のプロセスを描くことで政治を「制御/拡張」してきた。その実効性が認められていたからこそ、演劇は権力の制度のど真ん中に位置を占めていた。現代演劇はもはやそうした地位にない。だが社会で通用している合理性を拡張・補完する機能は果たせる。
というか、フーコーが渡辺守章との対談で述べたように、そもそも現実政治自体が必ずしも合理性を徹底するものではなく、政治は「劇場」をつくる。演劇が合理性を拡張・補完するとは、政治やマスメディアがつくっている「劇場」とは別の「劇場」をつくるということ。
今は「合理性の拡張・補完」のチャンス。お金より物語や詩に救われるとか、証明はできないけど死んだ人のことを考えた方が社会がうまくまわるとか、「新たな慣習」が生まれる可能性がある。「合理性」が本来秘めている豊かさの展開こそ、芸術や言論が現在取り組みうる最も面白いテーマの一つだと思う。
今日は国民投票プロジェクトに行ってきて、直接の感想ではないけれど、最近の関心に引きつけて書いてみた。政治には政治の「観客論」があるわけで、それとは別の、あるいはそれを拡張/補完/制御する「観客論」の可能性を演劇はもっているということ。
2011年10月12日水曜日
10/11 クライスト・メモ
大宮勘一郎「クライスト2001 / 2011 −21世紀最初の10年とクライストの諸作品」メモ
・政治的非対称性(機会原因的な国家自身の影・亡霊)
・自然と人間の非対称性(→カントの崇高)
・共感覚(Sympathie)、忘我と夢=理性的コミュニケーション以外の意思疎通能力
→ 啓蒙的理性による対話の公共性、ポリス的秩序とは別のなにか
→ 「状態」(Vgl. 「語るにつれて」)
→ 「わたし(たち)」はからっぽの入れ物ではない。
→ 「わたし(たち)」以前あるいは以後のなにかがあり、そこに「わたし(たち)」を流しこむ。
→ 共感覚はそのネットワーク。クライストにおける「病的」=「状態」への感受性の高さ
→ 「状態」の組織化=人間の生の別の秩序化(Vgl. 『ペンテジレーア』『ヘルマンの戦い』)
・非嫡出性、非正規性、みなしご性
→ クライストにおける「父の不確実性」(への肯定性)
→ 秩序の尽きたところに組み込まれており、歴史を動かす。
→ 「父権の尽きたところに生じる亡霊的秩序」の存在
→ 確定的な秩序を揺るがしばらばらにしてしまうものが秘められている
・幽霊を含む共同体、幽霊をその一員とする共同体
・クライストにおける両義性:非嫡出性の両義性、「群れ」の両義性
・不定形な力にどういう枠組みを与えていくか
→ クライストは反啓蒙主義ではない
→ むしろ啓蒙の救い難い豊かさ、言葉の拡がりを捉えている
→ 啓蒙の拡張、啓蒙の徹底
・政治的非対称性(機会原因的な国家自身の影・亡霊)
・自然と人間の非対称性(→カントの崇高)
・共感覚(Sympathie)、忘我と夢=理性的コミュニケーション以外の意思疎通能力
→ 啓蒙的理性による対話の公共性、ポリス的秩序とは別のなにか
→ 「状態」(Vgl. 「語るにつれて」)
→ 「わたし(たち)」はからっぽの入れ物ではない。
→ 「わたし(たち)」以前あるいは以後のなにかがあり、そこに「わたし(たち)」を流しこむ。
→ 共感覚はそのネットワーク。クライストにおける「病的」=「状態」への感受性の高さ
→ 「状態」の組織化=人間の生の別の秩序化(Vgl. 『ペンテジレーア』『ヘルマンの戦い』)
・非嫡出性、非正規性、みなしご性
→ クライストにおける「父の不確実性」(への肯定性)
→ 秩序の尽きたところに組み込まれており、歴史を動かす。
→ 「父権の尽きたところに生じる亡霊的秩序」の存在
→ 確定的な秩序を揺るがしばらばらにしてしまうものが秘められている
・幽霊を含む共同体、幽霊をその一員とする共同体
・クライストにおける両義性:非嫡出性の両義性、「群れ」の両義性
・不定形な力にどういう枠組みを与えていくか
→ クライストは反啓蒙主義ではない
→ むしろ啓蒙の救い難い豊かさ、言葉の拡がりを捉えている
→ 啓蒙の拡張、啓蒙の徹底
2011年10月7日金曜日
10/7 シェイクスピアの史劇
先月一気に読んだシェイクスピアの史劇についてある程度まとめておきたいと思っていたが、難しい。
キーワードだけ列挙。演劇と歴史、時間の編集、アーカイブの参照、社会のどこに/なにがアーカイブとして参照しうるか、それによって演劇のあり方は変化する、同じ問題を何度もくり返し取り上げること、異なる角度から眺めること、歴史は個人の能力の限界を超える、シェイクスピアは人物をゼロから生み出したわけではない、創造神話の再考、結婚や王位継承の問題、どこに社会の核をつくる「プロセス」があるか、シュミットのハムレット論、カントーロヴィチ。
キーワードだけ列挙。演劇と歴史、時間の編集、アーカイブの参照、社会のどこに/なにがアーカイブとして参照しうるか、それによって演劇のあり方は変化する、同じ問題を何度もくり返し取り上げること、異なる角度から眺めること、歴史は個人の能力の限界を超える、シェイクスピアは人物をゼロから生み出したわけではない、創造神話の再考、結婚や王位継承の問題、どこに社会の核をつくる「プロセス」があるか、シュミットのハムレット論、カントーロヴィチ。
2011年10月6日木曜日
2011年10月5日水曜日
2011年10月4日火曜日
10/4 戻す
今日は大事な打合せを無事に終えることができてよかった。
そしてブログのデザインを戻しました…。なにかと不具合がありました。
もろもろ告知等もあるし、書きたいこともあるのだが、とりあえず今日もつなぐだけ。
そしてブログのデザインを戻しました…。なにかと不具合がありました。
もろもろ告知等もあるし、書きたいこともあるのだが、とりあえず今日もつなぐだけ。
2011年10月3日月曜日
2011年10月2日日曜日
2011年10月1日土曜日
10/1 再開します
先月は2回しか投稿しなかったようですね…。
しかも知らない間にブロガーのデザインが一新されていました…。
今月はもう少しマメに文章を書きたいと思います。
今は非常に難しい翻訳の仕事をほそぼそと進めています。論文も一本書いています。そして「演劇理論」について勉強したり考えています。どれもなかなかうまくいきません。
宣伝もいくつかあるのですが、また追って書きたいと思います。
今後ともこのブログをどうぞよろしくお願いいたします。
しかも知らない間にブロガーのデザインが一新されていました…。
今月はもう少しマメに文章を書きたいと思います。
今は非常に難しい翻訳の仕事をほそぼそと進めています。論文も一本書いています。そして「演劇理論」について勉強したり考えています。どれもなかなかうまくいきません。
宣伝もいくつかあるのですが、また追って書きたいと思います。
今後ともこのブログをどうぞよろしくお願いいたします。
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