2010年10月4日月曜日

憲法(1)

 憲法学を学びはじめても、わからないことがあった。

 それは、「そもそもわたしたちはなぜ日本国憲法を守らなければいけないのか」ということである。概説書はすぐに「憲法の意味」や「主権の三つの意味」といった細かい議論に入っていて、憲法を遵守すべき根本的な理由が何も挙げられていないのである。

 誰しも子供のころ、「なぜ人を殺してはいけないのか」と考えたことがあるだろう。それに対して、「人を殺すのは悪いことだから」と言われても、「なぜ悪いのか。悪いとはどういう意味か。悪いときと悪くないとき(戦争や死刑)の違いは何か」と納得できなかった人も少なくないと思う。かくいうわたし自身が子供の頃、一時期これをだいぶ考えた。子供なりの結論は以下のようなものだった。わたしは、わたしの友達や家族が殺されたら困る。きっと誰しも、友達や家族を殺されたら困るだろう。だから、「人を殺すのは悪いことだから」というよりも、みんながお互いに「まわりの人を殺されると嫌だから」、人殺しを禁止することにしたのではないか。

 子供のころと同じような疑問を感じたのである。なぜ憲法を守らなければならないのか。守らなければならないことになっているのか。

 いろいろ調べてみて、一番説得的だと思った主張は、「なぜなら、わたしたち自身がこの憲法を守ることに決め、今なお守り続けることに決めているからである」というものだ。つまり、別に憲法の内容が「正しい」から守らなければならないのではなく、憲法の内容は実は究極的には「無根拠」だが、とにかくそれを守ると「決定」したのだ、という説明である。カール・シュミット『憲法論』という本にそのことが書いてある。要するに、法にはもともとそれを支える「底」はなく、法をつくるとは究極的には「暴力」なのだが、いわば「暴力」によって「底」を仮構する行為なのだ、ということである。

 このいわゆる憲法制定権力論は、現在の日本の憲法学ではほとんど論じられていない。それには様々な理由があるようだ。たとえば、上記シュミットの論理では、国民主権や基本的人権も普遍的な価値ではないことになり、それを「戦後」(あるいは「近代」?)が許容しない、ということ。また、日本国憲法成立史の問題。すなわち、GHQによるマッカーサー案をもとにした現在の憲法を、「わたしたちが決めた」と言えるのかどうか、という議論。

 しかしながら、民主主義や人権が普遍的な価値ではないことも、日本国憲法史の真実も、とうに明らかになっているのだから、むしろ憲法を、いつからあるのかわからない抽象的な理念ではなく、具体的な決定として捉えることは、様々な面でより有益だと思う。

 ドイツ語で憲法のことをVerfassungというが、それは「状態」という意味である。つまり憲法とは、「これがわたしたちの国だ」という政治的状態の決定の宣言なのである。そしてその憲法=「これがわたしたちだ」をもとにして、すべての法律がつくられる。したがって、日本で人を殺してはいけないのは、日本国憲法があるからだと言うことができる。日本国民が日本国憲法の遵守を決定したからだと言うことができる。憲法というものは、そうしたあらゆる禁止と許可の仮構的な「底」をなしているのである。これほど重要なことを、どうして憲法自身に定められた義務教育で教えず、日本の憲法学も説かないのか、不思議でならない。

 憲法制定権力論が重要であると同時に避けられているのは、これが抵抗権に接続するからではないかとも、個人的には思う。国民が国家に逆らう権利が抵抗権である。抵抗権の興味深い本質は、それが権利として考えられているにも関わらず、常に非合法にならざるをえないことである。しかしながら、合法/非合法の根本的な「底」としての憲法が、究極的には無根拠で絶対普遍のものではないとするとするならば、国家がその憲法のもとに圧政を行うとき、新たな別の「底」をつくりなおす行動として抵抗を選択することは、誰からも否定されえないだろう。フランス革命の本質にはそうした法の哲学があった。だからこそ人権宣言第2条は、あらゆる人間がもつ自然権を、「自由・所有権・安全および圧制への抵抗である」として、抵抗権を含めているのである。日本国憲法は、抵抗権を明文上は保障していない。

2010年10月3日日曜日

ドイツ文学史(1)

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 19世紀から20世紀への転換点、ドイツの第二帝政期を特徴づけたのは、工業化、都市化、大衆化であった。

 工業化を支えたのはドイツ帝国の教育である。ドイツはヨーロッパのどこよりも初等教育の整備が早かったが、帝政期においては、民衆教育とエリート教育が明確に分離された。人口の90%は中等学校まで進まず、労働者・農民として供給された。他方で聖職者、官吏、医者といった教養市民層は、ラテン語・ギリシア語の古典語習得を基礎として養成された。教養の世界と商工業・農業の実業の世界とが疎遠だったことが、他の西欧諸国との違いといわれる。

 この時期の厳格な教育、そしてそれを包む法治国家の安定という「退屈」が、19世紀末にかたちをとってあらわれた。青年運動である。ワンダーフォーゲルとは、定住より放浪、静止より運動、覚醒より陶酔、退屈より熱狂を求める願望であり、キャンプファイアーとは祝祭的野蛮の儀礼化だった。この運動が下火になってのち、同じ人々が第一次世界大戦を熱狂とともに迎えたことは知られている。

 芸術分野では、ミュンヘンを中心にユーゲント・シュティール運動が興った。彼らもまた、「青春の様式」として新しい芸術の創造を実践した。

さらに、合理化・工業化への反発として、自由教育運動があった。過度の専門化・効率化の弊害が批判され、芸術教育の重要性が説かれた。同様に生活改革運動が行われた。家庭菜園、禁酒・禁煙運動、裸体主義、自然治癒療法などが実践された。これらは、「近代」によって疎外されたものの復権を通じて人間性の開花を求める運動であった。

世紀末の生活文化運動のなかには、ニーチェ思想が引用された。たとえば、反アルコール運動では、ドイツ民族を愚昧にした二大麻薬はアルコールとキリスト教であるというニーチェの言葉が引用され、青年運動ではキリスト教からの離反が「ツァラトゥストラ」に託して表明された。

言語メディアの領域でも、目下の秩序に対する疑いが生じた。それは「言語懐疑」としてあらわれた。すなわち、①言葉は現実を正しく表現しているか、②言葉は現実を映さなければならないのか、ということに批判的なまなざしが注がれた。

①はジャーナリズム批判につながり、この領域でひとり戦ったのがカール・クラウス(18741936)である。②は現実からの言語の自立へとつながった。言葉と現実の関係を主題としたホーフマンスタール(18741929)の「チャンドス卿の手紙」(1902)や、現実には存在しない観念や感覚を言葉によって表現していくトーマス・マン(18751955)の小説が生まれた。

(続く)


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 「ドイツ」、「文学」、「ドイツ文学」、「ドイツ史」、「文学史」、「ドイツ文学史」等が近代以降の物語にすぎないことは自覚しつつ、あえて「ドイツ文学史」を抽象的にとりだし、そこからこぼれ落ちてしまうものを検証することで、何を探しに行きたくなるか考えたいと思って始める。
 
 しかしながら、現実逃避としての運動、反近代としての芸術、自然志向の生活改革、言語に対する懐疑などと抽象化すると、19世紀から20世紀への転換期が、20世紀から21世紀へのそれと驚くほど重なって見えるのだが、それは20世紀から21世紀への転換を経験した人間が抽象化しているからなのか、あるいは類似した事態が反復されていると考えてよいのか、それがわからないことが最初の収穫かもしれない。

2010年10月2日土曜日

翻訳論(1)

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ハイナー・ミュラー「アイスキュロスを翻訳すること」(抜粋)         

これまでの翻訳でわたしが我慢できないのは、ある全体性を、ひとつの完全なテクストをつくろうと試みていることです。そのせいでまったく質が低下しているのです。

ヴィッツマン[翻訳者]のテクストで重要なことは、可能な限り逐語的に翻訳してあり、オリジナルとは何の関係もないような形式に押し込めようとしていないことを、本当に信頼できる点です。ある種のものごとを逐語的に表現し、それが今日的な視点で理解可能かどうかは顧慮しないということは、まったく勇気を要します。ヴィッツマンには本来、詩的な野心がありません。しかしまさにそのことによって詩が生まれているのです。

ほとんどの翻訳者は、意味されているものが理解可能になるよう表現しようとします。しかし、逐語的な翻訳に巻き込まれてしまった方が、ひとはより多くを理解できるのです。そうした表現の中にある、翻訳の驚愕させる効果、ショックを与える瞬間、これこそが非常に重要なのです。

戯曲は散文とは異なります。戯曲は読むためのものではない。音読のためのものです。戯曲は、それが発話されたのを耳にするやいなや、恐ろしく具体的に、また感覚的になるものです。通常、今日ではもはやひとびとは「語」を読まず、文を読みます。意味連関を読みます。それはおもに社会のコンピューター化に由来しているのですが、重要なのはもはや情報のみなのです。このテクスト[アイスキュロス]は、本来は一語一語読むしかないものです。情報などまったく非・劇的なものです。このようなテクストにはただ見る者/聴く者さえいればいい。部分と部分の間に、常に見る者/聴く者のための場所があるからです。わたしが言いたいのは、奈落がそこにあるということです。一つの意味や一つの解釈によって割り切れない場所がある。それは空虚で、暗い空間です。ひとは誰しも、そこで自分自身のろうそくを見つけなければならないのです。

文献:Heiner Müller: Aischylos Übersetzen. Ein Gespräch mit Heiner Müller. In: Aischylos DIE PERSER. Hrsg. von Christoph Rüter, Berlin 1991.


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 ある種のテクストは、内部に、そのテクスト自体を崩壊させかねない異物を含む。そうした異物のざわめきを聴く耳を養うこと、それは現実的に役に立ち、同時に歴史意識を喚起する。それ自体がある種の事態への批判となり、ある種のものごとの擁護となる。

 そう感じてはいるのだが、それにしても翻訳についてどう考えればいいかわからないことが多いので、あるいは何を考えたいかわからなくなることが多いので、翻訳論と題して始める。

2010年10月1日金曜日

ドイツ語(1)

 20024月、慶応大学文学部初年度の一般教養課程を終え、専門課程はドイツ文学科を選択した。

 和泉雅人教授に教わらなければ、これほど長くドイツ語に関わることはなかったと思う。和泉先生は最初の授業で、「独学で大学教師よりドイツ語ができるようになる方法」について話した。以下のカリキュラムである。

①阿部賀隆「独文解釈の研究」(郁文堂)×3
②横山靖「独文解釈の秘訣」(郁文堂)×Ⅰ・Ⅱ巻を各2
③関口存男「新ドイツ語大講座」(三修社)×中巻・下巻を各3

これは翌年の春までに終えたが、むしろこれを機に関口存男(1894-1958)の語学と文章に触れたことが大きかった。言語、あるいは一切の事物と向き合う彼の姿勢を再確認し、ドイツ語に関する論考の導入としておきたい。

勉強と戰争とは甚だ相似たものがあります。昔は、國家總力戰なんてものはなかった。今は勝つためには凡ゆるものを動員します。科學も底の底まではたく、思想も女の貞操(スパイなど)も、苟しくも利用価値のあるものは全部動員します。思想と女の貞操だけは遠慮して動員しなかつたなんて國があつたら、その國は、思想と女の貞操を動員した國には覿面に負けるというのだから、おそろしい世の中です。
ところが、勉學の世界となると、このおそろしい現實の可能性に對してハツキリした認識を以て臨み、最後の最もエゲツない手段に訴えても人に勝つという心構えでもつて自分の心境をスツキリと割り切つてしまうだけの冴えた頭を持つている人が存外すくない。すくないだけに、虚を衝いて進出するには絶好のチヤンスです。
[…]
クソ勉強は、いろいろな意味に於て強姦に似ています。[…]少くとも多少なりとも恥を知る人間ならば、考えただけでも眼をそむけたくなるような、無理無體の細部に分けて考えられる點も似ているし、意圖の如何にかかわらず後に儼然たる結果が殘って、その結果がそれ自體の理法によつて生長していくという點もそつくりだし、そもそも、たつたそれだけの事で、それが後になつてそんな重大なことになるという事實關係が、當事者自身はもちろんのこと、第三者にも、學者にも全然わからないと云う點もそつくりです。
[…]
あたりまえで行つたのでは結局あたりまえにしかならない。おまえだけは何か人のしないへんな事をせよ:汝自身の頭を強姦せよ!
関口存男「くそ勉強に就て」(1954年)

 「ちょっとやって見る」とか、「手段としてやる」なんてやり方はありません。「やる」以上は「やる」。やるに二つはありません。
 […]
 獨逸語は持久戰です。まづ腰をおろして考へませう。[…]坑道を掘つて敵塞の「下」に迫りませう。大岩層に逢着したら、コツコツと、一片また一片と岩を崩して行きませう。相手は岩ですよ。敵ではありません。敵だの勝利だのと云つたやうな事はもはや當分の間問題ではありません。それはもはや戰争ですらもありません。仕事です。涯しなき作です。無限の穿掘です。試練です。凝視です。根くらべです。
 目標は無限の彼方にあります。そして鼻の先は岩です。そして岩の背後は岩です。そのまた背後も岩です。岩、岩、岩、岩、當分は岩です。
 堀りませう!
関口存男「語學をやる悟」(1931年)
いずれも『関口存男の生涯と業績』(三修社)