2011年7月16日土曜日

7/14 脱・国家依存へ

 14日の分の演劇時評。

*エネルギー論争の盲点

 池田信夫氏の上記ブログ記事を読んだ。基本的で重要な指摘があると思った。以下、引用。

ドイツやスペインのように固定価格買取を導入して巨額の補助金を投入すれば、再生可能エネルギーを増やすことはできる。しかしそれによってエネルギー産業は農業と同じ補助金産業になり、国家統制が強まる。そして補助金産業は、補助金が切れると崩壊する。スペインの財政破綻で「グリーンテック・バブル」のはじけた欧州では、太陽光発電所の建設がストップしてしまった。

 わたしはエネルギー政策に詳しくないので、この指摘が完全に誤りないものかどうか、判断できない。ただ、その重要性は理解できる。

 わたしは日本の現状では「脱原発」が必須だと考える。しかしながら、再生可能エネルギーへのシフトが池田氏の考える通り補助金によってのみ成り立つとすれば、原発から別のエネルギーへという流れ自体は評価できるとしても、国家にエネルギーのあり方を委ねるという点ではこれまでと変わらない。それでよいのだろうか? 原発だけが問題だったのか? 中央集権的なエネルギー政策も問題ではないか? だとすれば、国家=中央が配分する補助金なしには成り立たないようなエネルギー政策は、これまでと同型の問題を温存するのではないか?

 わたしは311を「脱・原発依存」のみならず「脱・国家依存」への分岐点とすべきだと考える。国民国家モデルは緩やかに解体していくはずだし、解体すべきだ。国家は小さく、社会が厚くなればよい。そのために最初は国家をテコにする、ということもあり得るだろうが、エネルギーをめぐる経済や制度を国家に委ねないという根本的イデーを忘れてはならない。「歌詞は違うがメロディは同じ歌」が聞こえてくるようでは、まずい。

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