2011年7月6日水曜日

7/6 国家と子供

 今日の演劇時評。

*子ども・子育て新システム:幼保一体「総合施設」

 政府は6日、新たな子育て支援策「子ども・子育て新システム」に関する中間報告をまとめた。従来の幼稚園、保育園、企業やNPOによる保育施設、さらには一定の基準を満たした無認可保育所が、まとめて「こども園」に指定される。各施設にバラバラに出している補助金は「こども園給付」に一本化。補助対象が広がり、現行と同水準の負担で幅広いサービスを受けられるという。

 この新システムの趣旨は「待機児童の解消」とのこと。しかし今回の中間報告では、あらゆる施設が「こども園」と呼ばれるようになることはわかったものの、それがいかに「待機児童の解消」につながるのかは不透明だ。補助金が一本化され、これまで同様の負担でよりサービスを受けられると言うが、そもそも待機児童問題の原因が何で、それをどのようにケアするのか説明を受けない限り、「それで問題が解決するのだろうか」という疑問は拭えない。その点に踏み込む新聞がないことも信じられない。官僚の説明を記事にしただけと捉えられても仕方ないだろう。

 これからの国家と子供の関係が問題になっている。少子化にもかかわらず子供をケアしきれないということは、今後の日本国家は子供の平等な育成に真剣な関心をもたないと考えてもよいのかもしれない。

 国民が税金を納めている以上、待機児童問題や都市部における子育てのしづらさを国家に手当させることは当然だが、しかしそれが単なる「名前のつけかえ」以上のものではほとんどなく、実効性に乏しそうであれば、逆にそれをビジネスチャンスと捉えることはできないのだろうか。そうした場合に民間の力を活かせるよう、今後の国家は「できるだけ邪魔をしない存在」、すなわち規制緩和を基本姿勢としなければならないのだが、それは官僚の権限を狭めることになるため、達成は容易でない。変革の要所は存在せず、あらゆるものごとを少しずつ変えていかねばならないのだろう。

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