2011年4月30日土曜日

4/30 4月が終わる

 4月が終わる。

 2011年3月、4月はかなり変な2ヶ月だった。いろんなことがあったのに、日々何をしていたのか、具体的にはよく思い出せない。地震、出産、翻訳など、年表をつくるなら書き込めそうなことがいくつもあった。でも今になってみると、すべてがいつの間にか過ぎ去ったような気がするのだ。変な2ヶ月だ。

 5月になったら振り返ることができるのかもしれない。

2011年4月26日火曜日

4/26 次へ進む

 もうちょっとまともな文章を書きたいのだが、今日も無理だ。

 次のプロジェクトのリサーチを進めている。楽しい。

2011年4月25日月曜日

4/25 翻訳を提出した

 プロジェクト自体はまだ終わっておらず、むしろこれからが大事なのだが、ひとまず提出を終えた。

 個人的にも楽しかったし、またいろんな面でこれまでの翻訳とは別のタイプの仕事ができてよかった。

2011年4月21日木曜日

4/21 翻訳をしている

 翻訳をしている、としか言いようがない。ずっとしている。少し疲れた。

2011年4月20日水曜日

4/20 翻訳をしている

 翻訳をしている、としか言いようがない。一日14〜18時間している。ずっと家にいる。とても楽しい。

2011年4月19日火曜日

4/19 翻訳をしている

 朝から14時間ほど翻訳を続けている。30分の休憩を2回とった。まだ翻訳を続ける。

 今また地震があった。

2011年4月16日土曜日

4/15 いろいろ進めた

 翻訳 → 自動車教習所 → ドイツ語授業180分 → ドイツ語授業120分 → 翻訳 → 寝る。

2011年4月12日火曜日

4/12 翻訳を進めている

 あと3日で翻訳のかなりの部分を終わらせたいと思い、集中的に作業している。が、終わるだろうか…。

 翻訳しているとたいへんお腹が空く。そして睡眠時間が減る。神経が昂ぶるので目が覚める。

2011年4月11日月曜日

4/11 地震の一ヶ月後

 昨日から群馬県沼田市にいた。

 地震からちょうど一ヶ月の午後は、はじめて子供を家でお風呂に入れていて、何も気づかなかった。

 夕方、群馬は震度4だった。古い家だからずいぶん揺れた。いろんな音が聞こえた。上から物が落ちてくるだけで死んでしまう命を扱うのは、とてもたいへんなことだ。びっくりするくらい小さいし、柔らかい。もろい。そのへんを歩いてる汚いおっさんも全員そんな赤ちゃんだったかと思うとなかなか衝撃だ。したがって今はこんなに小さく柔らかくもろい彼も、いつかは汚いおっさんになるのだろう。2050年くらいに。笑えるのでぜひなってほしい。

 ところで今はJR高崎線の車中。地震で沼田−高崎の上越線が遅れた。高崎ー赤羽を遅れて進んでいる。


未来のおじさん/おじさんの過去

あらた 産後30分

2011年4月8日金曜日

4/8 翻訳を進めている

 身体的にも精神的にも本格的な「翻訳モード」に入りつつある。覚醒状態というか、興奮状態というか。体調を崩さないように気をつけないといけない。一気に走り過ぎないことが大事。

2011年4月7日木曜日

4/7 桜が咲いた

 朝から自動車教習所で応急救護講習を受ける。

 ホームセンターに寄る。ペットショップをのぞく。





 桜が咲いている。小学校の入学式らしい親子が多い。帰ると猫が花見をしていた。



2011年4月6日水曜日

2011年4月5日火曜日

4/5 子供が生まれた

 2011年4月5日(火)午前11時43分。体重2792グラム、身長49センチの男の子を、妻が産んでくれた。

 今日は平成23年4月5日ということで、「2345」の日らしい。大安だったようだ。

 群馬県沼田市は快晴。雲ひとつなく、風は湿度なく、ほんとうにさわやかな一日だった。

 生まれた子供はすぐに両目を大きく見開き、あたりを見回した。保育器に入ると、しきりに手足を動かした。あまり泣かない。彼の2時間後に生まれたもう一人の男の子に比べて、ものすごい暴れようだった。元気でうれしい。
 
 デジカメを病院に置いてきたので、写真が一枚もない。

 家族で楽しい生活をつくっていきたい。面白い人生をつくっていってほしい。

2011年4月4日月曜日

2011年4月3日日曜日

4/3 安全設計と柔軟性

 以下は「くそ勉強」ブログ「問題19 リズムのつくり方」に関する議論の一部。

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 「予測できない状況になった」というのはぼくは違和感がある。だってこれまでも別に予測なんてしてなかった。習慣という慣性で動いていただけ。むしろ重要なのは、「なにが起こっても反応できるようにならないとな」という考え方が広まっていることではないか。個人、家族、企業、地域、国家等々、さまざまなレベルで「設計思想」や「安全設計」の再考が重要になる。

 そのときの対応としては、1)すぐれたシステムを構築する、2)柔軟な対応力を準備する、という二つがすぐに考えられる。しかしこれは「あれかこれか」ではなく、両者を組み合わせたほうがいい。つまり、一番下の基礎には「安全設計」されたシステム、その上に柔軟性。

 「安全設計」という分野では、「壊れたときに安全であること」が重要らしい。これはたいへん面白い。壊れたときにこそ安全で、そこからシステムの細部を復旧させることのできる基礎を考え直すこと。個人レベルではいろんな実践が考えられると思う。ぼくにとっては走ることが重要。夜走ってから寝ると次の日寝覚めがよくて、スタートダッシュがきく。これがリズムづくりにいい影響をもつ。

 「安全設計」された基礎の上は、もう柔軟性でいくしかない。災害や不幸は個々人の想像力を超えるということが地震と原発で明らかになった。対応力、現場力みたいなものが大事。ジャンルや専門性に依存しない「反応する力」。マニュアル主義の決定的な終焉(のはずだけど、どうも続いているらしい)。

 ぼくが今回思ったのは、「人間と動物のハイブリッド具合を考え直さないといけないな」ということ。人間も動物ですが、今後の成り行きを支配しようとしたり、予測してなかった事態が生じると反応よりも不安や怒りになったりと、まあいろいろただの動物ではない。過去・現在・未来があるからかな。動物はもう少し現在勝負。今必要な行動をする。蓮沼くんが「追い込まれたら必要なことしか出来ない」と言ってたけど、動物はまさに「必要なことしかしない」わけで、その意味では人間ももう少し動物化する必要があるのではないか。近いところ、小さなところ、今必要なところから自分が動き、ものごとを動かしていく。前回臼井くんが言っていたことだね。ずっと先の未来を支配することは不可能だから、基礎だけちゃんとつくったら、あとはその場の柔軟性で対応する。それが今後必要な「人間と動物のハイブリッド具合」だと思う。

 リズムを「流れ」という言葉で考えるなら、「流れ」をつくる力ばかり強化するのではなく、現在の「流れ」に対応する構えをつくっていく、ということ。これは二度と地震や津波や原発事故が起こらなくても役立つ。

 こうした「安全設計+柔軟性」が自分や社会にそなわっているのか、それをチェックする機関も必要。動物と違ってどうしても意志でつくり、維持する必要があるから。個人レベルではぼくはそれを「声」と名付ける。リズムが崩れるときに一番まずいのは、自分の中から自分の「声」が失われること。思考停止におちいること。社会も同じではないか。「声」が失われて思考停止におちいると、リズムは惰性と化し、「安全設計+柔軟性」が機能しているかどうかのチェックは不可能になる。

 ゴーダが「これまでどおりの個人の「リズムの作り方」だけではきっと太刀打ち出来ない」と書いた。個人ではどうにもならないことがあるというのは、たしかにそのとおりだと思う。ただ、「リズムの既製品」に頼るのも難しい。複雑で多様な時代だから、たった一人の自分に完璧にフィットするシステムが外でつくられているわけがない。新興宗教やら何やらの誘いが出てくるのはそこだと思うけど、ぼくはそういうものは信じられない。だから、「安全設計」としての基礎は、外側の助けを借りながら自分(たち)でつくるしかない。それは楽しい作業でもあると思う。「外側」にもいろいろある。自分の好きな小説、映画、音楽や、影響を受けた思想、理論。スポーツや食事や飲酒。ネット上に存在するさまざまなサービスを利用してもいいし、地域のコミュニティで活動したり、パートナーや家族をもつこともリズムの基礎をつくる。ひとに迷惑かけなければ新興宗教やナショナリズムでも別にいいと思う。ぼくは地震の数日後にはやっぱりクライストを翻訳していたし、村上春樹の小説を読んでいた。今は走っている。誰がなんと思おうと、自分にとっての「安全基地」があることが重要。

 「安全設計+柔軟性」。これがぼくの暫定的な根本思想です。また何かあったら変わるだろうけど、それはそれでよい。


柔軟に避難する猫。太っていても逃げる時だけは狭い場所に入れるのがすごい。

2011年4月1日金曜日

4/1 ドイツ語とマラソン

 今日から新年度。とてもいいお天気だった。

 朝からドイツ語翻訳→夕方は教習所で縦列駐車→夜はドイツ語授業&マラソン打合せ。

 来週から新たに週一回のドイツ語授業開始が決まった。やる気と根性にあふれた青年なので、こちらも気合いを入れて準備する。また、その青年と6月12日(日)に「南魚沼グルメマラソン」に参加することになった。ハーフマラソン。こちらも楽しみ。

 新年度、よい滑り出しだった。これから走る。


ついでに猫たちの写真を一枚。彼らの不仲がよくわかる。