2011年3月31日木曜日

3/31 2010年度終了

 今日で2010年度が終了。だからどうということは特になし。でも明日が楽しみ。気持ちを新たにするいい機会。

寝起きだけど必死にまともな顔をしようとしている猫。

2011年3月30日水曜日

地震の直前

 3月11日の地震の2時間前、ぼくは以下のようなツイートをしたらしい。

ツイッターの声を可視化し、政治家に直接届け、それが無視できなくなる仕組みをつくる。今はまだ政治の動き→ツイッターの反応という一方通行。これを双方向化し、互いに応答しあう=責任を取り合うかたちをつくる。マスコミの権力も相対的に低減する。

 3週間前の自分に同意しても仕方ないが、これができたらいいとほんとに思う。ツイッターには現状についての批判だけでなく、これからの社会についての創造的なアイディアが出始めている。ぼくが読む限りでは、この説明なら誰でも納得するはずだ、と思うようなまともな意見がいくつもある。しかしもしこの機会に日本を変えることができなければ、これまで同様、なんだかよくわからないぐにゃぐにゃとしたプロセスを経て、いつのまにか電気料金が値上げされたり、石原慎太郎が再選されたりするのだろう。

 たった一日で日本の制度や精神性をひっくり返せると考えることも傲慢だろうが、それでも、「どうしたらいいのだろう」という思いは消えない。ただし、そう深刻ぶっても仕方ない。楽しく考え、楽しく動かなければ続かない。続かなければ変わらない。たしか高橋源一郎さんが以前ツイッターで、「楽しい政治」という文章を書いていた。そうなのだ。今こそ「楽しい政治」や「楽しい思想」が必要なのだ。政治なら「不謹慎」とは言われまい。思想は「自粛」を求められまい。今回を転機に、政治や思想を楽しく続ける、ほほえましい国にしたいものだ。

3/30 リズムについて考える

 友人たちと運営している「くそ勉強」というブログで、一昨日から「リズムのつくり方」について議論を始めた。このテーマを設定し、問題提起したのはぼく自身。

 今日、少し補足を付け加えた際に、この問題はこれまで自分が論じてきた別のことともつながることに気付いた。それは「時間」という問題系である。少し長いが、まずは今日書いた文章を全文引用する。

 わたしは特に宗教的な生活を送っていないし、いかなる宗教についてもきちんと勉強したことがないのですが、リズムを崩すといつも、宗教に従って生活しているひとのことを考えます。

 たとえば、ストレスやら何やらで暴飲暴食してしまったあと。わたしは、後悔しつつ、「もし『暴飲暴食すべからず』みたいな戒律に従って生きていたら、こんな無駄なことしなくて済んだのかな」と思います。以前、ユダヤ教の「十分の一税」のことを本で読みました。彼らは全財産の十分の一を喜捨しなければならないそうです。そしてどんなに金銭的に苦しんでいても、「今回はこっそりなしにしちゃう」とか「半年延ばしてもらう」ということをしないらしい。その理由に驚きました。「自分の財産の十分の一は、もともと神様のものなのだ。だから、もし納めなければ、自分は神様から泥棒をしたことになる」というロジックなのだそうです。

 「リズム」と深い関係をもっているのは、「わたし」の量ではないでしょうか。あらゆることをその都度「わたし」が決定すると、リズムはなかなか安定しません。「わたし」の状態は不安定で、場当たりの対応をしてしまうからです。たとえば、ユダヤ教の「十分の一税」と同じように、「毎月給料の十分の一を貯金しよう」と「わたし」だけで決めても、月末にお金が足りなくなったら、「今月だけは例外」といってやっぱり使ってしまうでしょう。同じ行為でも「わたし」の量が多いときにはリズムになりづらい。あるいは、お腹が空いているときにはたくさん食べ、空かないときには食べない、その判断は常に「わたし」がする、という生活はなかなかリズムを生まない。他方で、毎日7時・12時・19時に必ずお茶碗2杯食べなければいけないと決まっていたら、それはリズムを生むでしょう。

 宗教は、生活のリズムを部分的に「わたし」から切り離し、誰か・何かに移譲することではないでしょうか。あるいは農業者と比較してもいいかもしれません。一日中いつしてもよいオフィスワークと違って、朝にしかできないこと、午後にしかできないことがある農業者の生活は、仕事のリズムづくりが、「わたし」から自然へと移譲されていると捉えることができるでしょう。

 要するにシステムです。システムがリズムを生む。しかし「わたし」にしか通用しないシステムというのは非常に脆弱で(よく言えばあまりに柔軟で)、「わたし」だけでは強固なシステムをつくることが難しい。ここにポイントがあるのではないでしょうか。宗教に関してわたしが感心するのは、それが「考えなくていいことを考えない」ためのシステムであると思えることです。「生活の知恵」みたいなものを体系化して、「それはもう答えあるんだ。こうすればいい。考える必要ない。リズムにしてしまえ。ほかにもっと大事なことがあるから、思考と行動はそっちに集中させろ」と言ってるように思えるのです。

 この議論の流れからいうと、可能性としては、1)システムの構築を工夫する。特に「わたし」の減らし方、という観点から。2)上記の議論はそもそも間違っている。問題はシステムではない。という二つが見えてくると思います。どちらにしてもわたしにはまだ名案は浮かんでませんが…。

 具体的な「リズムのつくり方」を書くつもりだったのに、ふたたび理論的な話になってしまいました。これに反応をもらえても嬉しいし、引き続き太田くんのように具体例を挙げるのもいいと思います。わたしもあとでもっと具体的なことも書きます。


 「わたし」の量を減らすことが必要なのではないか、というのがこの発言の核だ。ところで、わたしは以前このブログで、「時間の複数化」なるものについて文章を書いた。その冒頭は以下の通りである。

 現代生活の課題は、「時間」を複数化することである。それは「わたし」を複数化することでもある。

 もしも「わたし」が一人なら、その一人において全てが始まり、全てが終わる。成功は「わたし」の完全な勝利であり、失敗は「わたし」の全身を痛めつけるだろう。

 それは単純にリスクが高い。可能なら一人の「わたし」に全てを賭けてよいだろう。しかしそれができるかできないか、それを望むか否かを自覚的に選択するプロセスはあってよい。

 仕事、家族、友人、趣味など、「戦線」を複数化することが「わたし」を複数化することである。「戦線」を分散したうえで、一部で受けたダメージをほかで補填し、一部で得た成功をほかに伝播させる。他方、重複させない部分は決して重複させない。

「わたし」のこの複数化が、「時間」を複数化することでもある。「時間」の分割と言ってもよい。一つの大きな「時間」を生きているという前提を停止させ、仕事の時間、家族の時間、趣味の時間など、複数の小さな「時間」を渡り歩く。

 数が多く、種類が豊富で、質が多様なことを楽しむのが20世紀の消費文化だった。必要充分な数と種類を、できるだけ良い質で楽しむのが21世紀の消費文化だろう。いずれにせよ、いまだに一つの、単一の、均質な「わたし」の「時間」を生きなければならない理由は何もない。豊かな消費生活を楽しむように「わたし」とその「時間」に手を入れて楽しめばよいのだ。


 引用した二つの文章は、両方とも、「たったひとりの巨大なわたし」をどうするか、ということを問題にしている。「たったひとりの巨大なわたし」に手を入れることがどうしても必要だと思うのだ。「わたし」を複数化するという二つ目の引用の問題提起は、「わたし」の量を減らすという一つ目のそれと矛盾しないかもしれない。矛盾しないどころか、ひとつのものをちがう角度から説明しているだけなのかもしれない。それは宗教にも自然にも寄り添って生活できない者にとっての、ひとつのチャンスなのだろうか。「時間の複数化」。その複数化された時間たちを軽やかに渡っていくことを、「リズム」と呼ぶことはできるだろうか。

 かっこつけただけの文章でたいへん申し訳ない。まだ中身を詰めておらず、ただの思いつきで二つを並べただけなので、どうしても予感的な言い方になってしまう。「くそ勉強」ブログの議論は日曜まで続くので、これからもっとはっきりさせたいと思っている。

2011年3月29日火曜日

3/29 臼井くんの原稿を読んだ

 以下、ぼく自身の文章ですが、臼井くんのブログからの転載です。

 彼が「アーティスト・イン・児童館 コンセプトブック」の原稿を公開し、コメントを募集したのに応じて書きました。もともとの文脈を知りたい方はぜひ臼井くんのブログをたずねてみてください。

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 ぼくには、文章を書いている臼井くん自身の立ち位置が少しあいまいな気がしました。個人的には、臼井くんがもっと自分の色を、我を出すべきだと思いました。自分の責任で、自分の思想として「コンセプト」を表明すべきだと思いました。

 どういうことかというと、まずこの文章では、「アーティスト・イン・児童館」という場所で、あたかも子供たちとアーティストが自然な化学反応で引き寄せ合い、つながり、作品制作が行われたかのように書かれています(「児童館で遊びたい子どもたちとつくりたいアーティストが出会い」など)。どのようなアーティストが、どのような過程で選ばれたのか。またそもそもなぜアートなのか。その「出会い」の裏側はあまり描かれていません。しかし現実には、自然に子供たちとアーティストが接点をもったのではなく、「何か」がその両者をつなげたわけでしょう。そしてその「何か」こそ臼井くんなのでしょう。だから臼井くんは、「これこれの理由から、他ならぬおれがこの二つをつなげたんだ」という態度になってもいいはずです。

 こんな部分にこだわるのには理由があります。ぼくは主語のあいまいな文章や「自動詞」的な文章をあまり信用しません(「AがBをCする」という「行為への意志」が含まれるのが「他動詞」的文章。「AがBになる」という「自然な変化」が「自動詞」的文章)。そこにはあたかも「こうなるのが自然なんだ/理想なんだ/流れなんだ」というような、個人の趣味嗜好を離れた事柄であるかのような、一種の「客観性の外見」があらわれるけど、実はそれは客観性ではなく、ただのあいまいな物言いや責任の所在の不明瞭化だったりするからです。

 実際、臼井くんが「おれが子供とアーティストという二つをつなげたんだ」と言えば、必ず誰かが「どうしてそんなことするんだ? そんなことに価値があるのか? おれには価値があるとは思えない」と突っ込んでくるでしょう。そのとき臼井くんは「おれは価値があると思う」と答えるでしょう。相手に対して、「お前が知らない価値があるんだ」と答えなければならないでしょう。いわゆるパターナリズム(上から目線)の問題です。これを背負うと、ひとは最終的には必ず「社会思想」を語らなければならなくなる。そしてそれがいいことだとぼくは思うのです。ぼくは、もっとはっきりとした「臼井くんの社会思想」が聞きたいです。

 「現在、現代美術の分野では、人々と積極的に関わりながら新しい表現を試みるアーティストたちが続々と現れています」も「私たちは今、生活を支える仕組み自体を組み立て直していく変革期を迎えています」も、ぼくはずるい物言いだと思います。最初から「おれはひとと関わるアーティストに価値があると思って招いている、なぜなら…」とか、「おれは今こそ生活を支える仕組みを組み立て直すべきだと思う、なぜなら…」と書いてほしい。そこが積み上げられてないから、最後に「分類・管理の社会から脱分類・協働の社会へと組み替えていく」と言われても、臼井くんが後者に価値を認めていることは伝わるし、読者も後者に価値がありそうだと自然に思うだろうけど、どうしてそれに価値があるのか、ぼくにはよくわかりません。説明されてないし、表明されてないと思います。

 「コンセプトブック」である以上、活動の「記述」だけでなく「コンセプト」こそ知りたい。その「コンセプト」は、やっぱり個人の強烈な思想でしかありえないんじゃないかと、ぼくは思います。客観性を排して、自分の意志として語ってほしいと思いました。そうじゃないと、誰がその「コンセプト」に責任をもつのかわからない。ぼくは誰を応援すればいいのかわからないし、誰に反論すればいいのかわからない。「アーティスト・イン・児童館」は「主語」たりえないでしょう。それは「日本」や「市民」や「被災者」が主語たりえないのと同じことです。「主語」が限定されないところに対話は機能しません。臼井くんの巨大な署名が載った思想を、ぼくはもっと聞きたいです。

 長くなりましたが、細かい内容の問題ではなく、大きな「構え」の部分に関してコメントさせていただきました。

2011年3月28日月曜日

くそ勉強|リズムのつくり方

 以下、「くそ勉強」ブログから転載です。

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問題19 リズムのつくり方

 今回は、前回の太田くんの問題「勝利の方程式」を引き継ぐテーマ設定にしたいと思います。タイトルは「リズムのつくり方」です。

 前回の問題では、「流れのつくり方」が話題になりました。いつもどおり、特に結論はついてませんが、実質的には蓮沼くんのコメントに議論が集約されていたと思います。つまり、「小さなこと/一歩を大事にすること」、そしてそれによって「問題をクリアにしていくこと」。

 ではその「小さな一歩」とは何か? 一人一人にとって具体的にどういう作業なのか? どうすれば「小さな一歩」を積み重ねて、「問題をクリアにしていくこと」ができるのか? それを「リズムのつくり方」という観点で捉えてみたいと思います。

 特に付言するまでもなく、今現在、リズムを崩しているひとは、ぼく自身を含めてたくさんいると思います。リズムを崩すことが必ずしも悪いことだとは思いません。ひとがリズムを崩すときは、やはり必要があって崩しているのだと思います。ただ、そろそろ自分のリズムを更新したいと思っているひとも多いのではないでしょうか。ひとのやり方を真似したからといって、すぐにいいリズムができるとは限らないでしょう。しかし、おそらく「どうすればリズムをつくれるのか」ということを他人と話し合うこと自体が、個々人にとってリズムをつくっていく作業そのものになるのではないか。そう考えています。

 というわけで、この問題提起自体がぼくの「リズムのつくり方」の「小さな一歩」です。ほかにもいくつか思い付くことはあります(「朝から家を出る」「日記を書く」など)が、それらの具体的な紹介(なぜそれをするか、どこがいいか)はコメント欄でするとして、まずは問題提起だけにしておきたいと思います。

 ひとが毎日の生活のなかで、どんな「小さな一歩」を積み重ねてリズムをつくっているのか、ぼくはとても興味があります。たぶん興味のあるひとは多いと思います。個々人のやり方を紹介し合いながら、お互いに「リズムのつくり方」のヒントを得たり、あるいは「リズム」なるものについての理解を深めることができればと思います。

 最近は太田、郷田、蓮沼、林だけでなく、臼井くんがコメントを書いてくれて、別の動きが出てきて、とても楽しく思っています。あらためて確認しておくと、このブログは原則として実名で参加してもらえればコメントは自由です。短い意見でも質問でも、ひっかかったひとは残してみてください。

 それでは今回もよろしくおねがいします。

林立騎

3/28 体調を崩していた

 昨日の夜から体調を崩していたが、回復。ブログは夜じゃなくて毎朝起きてすぐ更新するようにしたいな。

2011年3月26日土曜日

3/26 スマートフォンを買う

 2年以上使ったauの携帯電話を解約し、イーモバイルのスマートフォンにした。

 複雑な料金プランと謎の機能に彩られた二つ折り電話は大嫌い。同じスマートフォンでも「使い放題」使用料の上限が妙に高額なやつも許せない。その点イーモバイルはとてもシンプルで、安価で、他のキャリアとは「思想」が根本的に違う。無駄がなく、いさぎよく、人間の知的・創造的活動を支援しているように感じる。今回の選択には満足している。もともとイーモバイルのデータカードを使っているひとには特におすすめ。データカードと携帯電話を一本化することで、装備もシンプルになり、月々の電話+データ料金も安くなる。

スマートフォンで撮ってみた。複雑な表情がちゃんとわかる。

2011年3月25日金曜日

3/25 群馬県沼田市へ行く

 日帰りで群馬県沼田市に行ってきた。

 妻が出産のために帰省している。予定日まであと2週間。すべて順調。このまま無事に生まれてほしい。

 ところで、群馬県沼田市はとてもいいところだ。東京から北上すると、高崎くらいまではまったく特徴のない風景が続く。しかし水上行きの上越線(人間味のあるいい電車)に乗り換えると、景色は途端に美しくなる。切り立つ岩山の間を、浅く流れの早い深緑の川が幾筋も流れ、どことなく賢そうな森がじっと静かに数少ない家々を見守っている。遠くには真っ白な武尊山がひかえている。そのすべてが、灯火の少ない夕暮れには、蒼と黒だけに染まっていき、やがて夜になる。風は冷たいが、湿度が低いので底冷えしない。水が冷たく、野菜も米も果物も、なにを食べてもおいしい。大げさなところのない、おおらかな味がする。今日は時間がなかったけど、気持ちのいい温泉だってたくさんある。

 遠くに行くと、行く道中で、行った先で、帰り道で、普段は考えないようなことをいろいろと考える。むかしのこと、いまのこと、これからのこと。今日はとてもいい一日だった。

2011年3月24日木曜日

3/24 日常をゲーム化する

 あいかわらずなかなかうまくリズムをつくれない日々が続いてる。妙に夜更かしする日があり、なぜか早起きする日がある。

 そんななか、先日普通自動車仮免許なるものを取得し、今日からいわゆる自動車教習の第二段階が始まった。はじめて路上を走った。学科の授業もまた始まった。

 時間割を見ながら、どういう順番で教習を進めていこうか考えると、少し楽しい気持ちになった。ゲームをクリアしようとする感覚になっていた。

 自分の日常を、ささいなレベルから段階的に発展していくひとつのゲームのようにとらえ、その「攻略」を楽しむことも、リズムがつくれないときは有効かもしれない。「明日からきっとまともな生活をしよう」と「決心」するだけでは何も変わらない。「時間の配分」か、「場所」か、「付き合う人間」を変えなければいけない。と、ツイッターの大前研一botがつぶやいていたらしい。友人から聞いた。要は「わたし」を減らさなければいけない、ということだと思う。生活をある程度「わたし」から切り離し、植物のように育てたり、ゲームのように攻略したりして、「距離感のある関係」にしていくこと。きっと宗教の戒律が有効なのは、そのあたりにヒントがあるのだろう。ぼく自身、今はそうした作業が必要なようだ。

2011年3月23日水曜日

地震の12日後

 ブログを読み返したら、最近はなんだか深刻なことばかり書いていて恥ずかしくなってしまった。

 考えればそれでいい、とにかく思考が善である、というものじゃないね。思いつめて考えるのとリラックスして考えるのではぜんぜん違う。たぶんそのあとの行動も変わる。もう少しリラックスして、ぼんやり考えよう。「たかが思考」という部分を忘れないようにしながら。「叙事的思考」だな。「非感情移入思考」。なに考えても、家を出て車にひかれたらおしまいだ。思考なんてそんなものだ。

2011年3月22日火曜日

「空気」の「劇場」

 昨日は山本七平『「空気」の研究』を紹介し、言葉の内容だけでなく文体あるいは文彩(フィギュール)が「空気」づくりにつながる可能性を指摘した。

 ところで同書は、日本社会の分析に際し、演劇と演劇用語を繰り返し引き合いに出す。たとえば以下のように。

問題の焦点は、なぜ感情移入を絶対化するのかにある。[…]そういう状態になれなければ、そうさせないように阻む障害、または阻んでいると空想した対象を、悪として排除しようとする心理的状態が、感情移入の絶対化であり、これが対象の臨在感的把握いわば「物神化とその支配」の基礎になっているわけである。 [山本七平『「空気」の研究』、文春文庫、39頁、強調は引用者、以下同様]

虚構の存在しない社会は存在しないし、人間を動かすものが虚構であること、否、虚構だけであることも否定できない。[…]それは演劇や祭儀を例にとれば、だれにでも自明のことであろう。簡単にいえば、舞台とは、周囲を完全に遮断することによって成立する一つの世界、一つの情況論理の場の設定であり、その設定のもとに人びとは演技し、それが演技であることを、演出者と観客の間で隠すことによって、一つの真実が表現されている。端的に言えば、女形は男性であるという「事実」を大声で指摘しつづける者は、そこに存在してはならぬ「非演劇人・非観客」であり、そういう者が存在すれば、それが表現している真実が崩れてしまう世界である。だが「演技者は観客のために隠し、観客は演技者のために隠す」で構成される世界、その情況論理が設定されている劇場という小世界内に、その対象を臨在感的に把握している観客との間で“空気”を醸成し、全体空気拘束主義的に人びとを別世界に移すというその世界が、人に影響を与え、その人たちを動かす「力」になることは否定できない。従って問題は、人がこういう状態になりうるということではなく、こういう状態が社会のどの部門をどのように支配しているかと言うことである。 [同161−162頁]

このまま行けば、日本はさまざまな閉鎖集団が統合された形で、外部の情報を自動的に排除する形になる、いわばその集団内の「演劇」に支障なき形に改変された情報しか伝えられず、そうしなければ秩序が保てない世界になって行く、それは一種の超国家主義にならざるを得ないであろう [同163頁]

 東日本大震災以降の現状が思い起こされる。あるいはまた、WikiLeaksが世界を揺るがしても歌舞伎俳優のスキャンダルを追いかけ、エジプト情勢が急変しても「邦人安否」にしか焦点をあてず、「日本」という「演劇」に支障なき形に改変された情報しか伝えられてこなかった歴史が想起される。

 山本七平のようなすぐれた思想家が演劇のメタファーによって社会という「劇場」を分析している一方で、実際の演劇や演劇学者は社会とどのような関係を築けてきたのだろうか。演劇によって社会という「劇場」の分析が可能なら、その延長線上には、逆に演劇の再定義によって社会変革を提言する可能性が浮上するはずだ。たとえばブレヒトを知る者は、上記の分析になんらかのかたちで現実的に応えられるのではないか。演劇理論は常に社会理論だ。ギリシア語において「ドラマ」は「祭り」と語源を同じくし、日本語において「祭り」は「まつりごと」につながっている。これまで、「劇場政治」という言葉が一般に流布しても、「エジプト革命はソーシャル・メディアが生んだ『祭り』だ」という分析があらわれても、演劇学あるいは演劇関係者による言説は、社会の現状と展望に関して有力な提言を行うことができなった。今回がその転換点になることを期待するし、自分としてもその作業を続けたい。

2011年3月21日月曜日

「空気」の研究

 いま、山本七平『「空気」の研究』を再読しているひとは多いと思う。

 同書の中で山本さんは、ひと・もの・ことが絶対化されて「空気」と化していくメカニズムを分析した。具体的には「公害」という言葉や「御真影」というモノが物神化し空気支配を生み出した歴史が扱われている。

 昨日の続きだけど、「かっこいい言葉の使い方」も「空気」をつくるのではないかと思う。それに反論することが悪人/馬鹿/不道徳であるかのような「言い方」。「まともにものを考えるひとなら、こう思うに決まってるよね」みたいな「言い方」。かっこ悪い言葉の使い方をしよう、ということではない。ただ、他人がそこからさらに何か別のことをを考える「余地」が残っている言葉かどうか。寛容を装いながら実はたった一つの選択肢しか残さない言葉になっていないかどうか。それは気を付けたい。

 今後はますます、しっかりした意味を持ち、現実にひとを動かす言葉が重要な時代になると思う。でも「動かし方」にもいろいろある。ぼくはあいまいな「空気」にいつのまにか縛られるのは嫌です。

2011年3月20日日曜日

地震の9日後

 先日書いたことの続きが少しわかってきた。

 何か別のひと/ものを否定する言葉はあまり役に立たないので、とりあえずなんでも肯定してみたい、という気持ちらしい。前回も書いたけど、たぶん世界には「正しい想像力」と「誤った想像力」の区別がない。人間だって動物だから、なにか理由があってみんないろいろやっている。どんなめちゃくちゃなことにもきっと主観的な合理性があり、何らかの想像力が働いている。だから、まずは否定するよりも、そこから自分が何かを学んで役立てるほうが、ぼくの動物としての生にとって都合がいいわけです。

 数学は忘れてしまったので不正確なたとえだと思うけど、否定は「微分」って感じがする。複雑な時間の経過を瞬間的な一点にして、ものごとの厚みをうばいさる力を感じる。違いで分けていく力。「否定はいやだ」と書いたので、否定を否定することもしないけど、ぼくは肯定の方が好きですね。肯定は「積分」。瞬間的な一点にも、ものごとの厚みを見ようとする態度。小さなものをもう少し大きなものに統合する力。ものごとの厚みを実感するなんて、タテマエはかっこいいけど、実際はきついことだ。ここ数日で明らかになってきた「東京電力の厚み」なんて、知るだけでたいへんつらい。それでも、そこに厚みを見出し、ときには自分の中に取り込んでみたほうが、なんかいいことあると思う。面白いことをする力、生きのびる力になる気がする。

 ただし肯定は「感情移入」じゃない。嫌いなひとに「なる」必要はない。これがブレヒトの教え。

 しかしこうして書いていても、「否定するひと」をさらに否定する言葉に流れそうになる。むずかしいものだ。肯定するというのは、「好きだ好きだ」とか「楽しい楽しい」とだけ言い続けることなのかな。ちょっとあほっぽいけど…。たぶんちがうよな…。

 あ、それともういっこだけ。今すごく気になっているのは、何かを否定する言葉のほうがなんかかっこいいってこと。大事なのは言葉の意味だけじゃなく、言い方。ひとを巻き込む空気をつくるのは「言い方」かもしれない。何が悪で何が善かなんて、実質的にはどうでもいいのかもしれない。悪をやっつけ善へ導く、ロマンチックな「言い方」が問題なのかもしれない。ロマンチックな「言い方」が「感情移入」の波をつくる。

地震から一週間・猫たち



2011年3月19日土曜日

翻訳「チリの地震」

 今回の地震に関連してのことだと思う。数日前から、このブログに掲載してあったクライストの小説「チリの地震」の拙訳にアクセスが増えてきた。

 わたしとしては、「今こそクライストの『チリの地震』を読むべき」とは特に思っていない。「チリの地震」については翻訳もしたし論文も書いたが、今回の地震でこの作品を思い出すことは、なぜかなかった。むしろ先日翻訳したエッセイ「考えることについて」や「語るにつれて思考が完成していくことについて」のことが気になったし、よくわかるようになってきた。

 ただ、それはそれとして、翻訳を読んでいただけるのはとてもありがたいことなので、2010年12月につくった改訳版を読みやすいかたちで置いておきたいと思う。以下、全訳です。

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ハインリヒ・フォン・クライスト「チリの地震」

1.

 チリ王国の首都サンティアゴ、1647年に大きく大地が揺れたその瞬間、幾千人が地に落ちたなか、ある犯罪の被告人、若いスペイン人ヘロニモ・ルヘラは、牢獄の柱のそばに立ち、収監されていたが、首を吊ろうとしていた。町有数の富裕な貴族ドン・エンリコ・アステロンは、1年ほど前、彼を家から、家庭教師に雇っていたが、遠ざけた。一人娘のドニャ・ホセフェと心の合意を結んだからである。あるとき秘密の逢引の約束が、この年老いたドンに、娘に厳しく警告したあとにもかかわらず、高慢な息子の陰険な注意深さから密告され、彼は怒り、娘を山中のカルメル派修道院に入れた。

 幸運な偶然でヘロニモは、ここでも交わりを結ぶことができ、ひとけのないある夜、修道院の庭を彼の全身を満たす幸福の舞台とした。聖体祭の日、修道女とあとに従う修練女の厳かな行列がはじまると、不幸なホセフェは、鐘が響くなか、教会の階段で陣痛に倒れた。

 この事件でひとびとの目は異常なほど上向いた。罪深い女は状態もかまわず投獄され、出産が済むやいなや、大司教の命令で厳しい裁判が開かれた。町では憤然とこのスキャンダルが語られ、舌鋒は事件が起こった修道院に向けられたため、アステロン家の嘆願も、院長自身の願いでさえも、普段は非難の余地ない態度の娘を好んでいたが、迫り来る修道院の厳格な法をやわらげることができなかった。起こりえたすべては、一旦宣告された火刑が副王の権力の一声で斬首刑に変えられただけだったが、この変更にサンティアゴの婦人と乙女は激怒した。

 引き回しの行列が通る道では賃料をとって窓が貸し出され、家々の屋根は取り払われ、町の敬虔な娘たちは神の復讐に捧げられたこの演劇を仲良しと鑑賞しようと友人たちを招待した。

 ヘロニモはこの間同様に収監され、意識を失いそうになったのは、事態が恐ろしく向きを変えたのを知ったときである。救出策を練っても無駄だった。どんなに大胆に思考の翼を広げても、つねに閂と壁にぶつかり、鉄格子を切ろうとしたが発見され、さらに狭い房へ閉じ込められた。彼は聖母マリアの肖像画の前にひざまずき、無限の情熱で祈った。今なお救いを求めうる、唯一の相手と思って。

 しかし恐れていた日になり、胸中、彼は自身の状況に少しの希望もないことを確信した。鐘が刑場へ向かうホセフェに連れ添って鳴り響き、絶望が彼の魂を支配した。彼には人生が厭わしく思われ、偶然が残してくれた一本の縄でみずからに死を与えようと決心した。まさに彼が、すでに述べたように、壁面の柱のそばに立ち、蛇腹に嵌め込まれたかすがいに、嘆かわしい世界から連れ去ってくれるはずの縄を固定したそのときだった。突然町の大部分が、空が落ちたような轟音とともに沈み、生を呼吸していたすべてのものが瓦礫に埋まった。ヘロニモ・ルヘラは恐怖にからだが固まった。そして意識が潰れたかのように、今度は柱にしがみついた。そこで死のうとしていた柱に、倒れないように。大地が足下で揺れた。牢獄の壁がすべて裂けた。建物が傾き通りの方へ倒れた。そのゆっくりとした落下に、向かいの建物の落下が出会い、偶然のアーチができたため、完全に地面に叩きつけられはしなかった。震え、髪を逆立て、ひざを震わせ、ヘロニモは斜めになった床を滑り下り、開口部へ向かった。二つの建物の衝突で牢獄の前壁が裂けたのである。

 外に出るやいなや、すでに一度揺れを受けていたこの通りは、大地の二度目の振動で完全に崩れ落ちた。みなが共有するこの破滅からいかにわが身を救うか意識もせず、彼は瓦礫と残骸を越えて急ぎ、その間にも死が全方位から攻撃を仕掛けてきたが、一番近い市門の一つへ向かった。ここでは家が崩れ、瓦礫を撒き散らして彼を狩り立て脇道へ追い込み、ここでは建物から炎が噴き出し、煙の中で光り彼を恐怖させまた別の道へ連れ込み、ここではマポチョ川が溢れて水が押し寄せ、うなりを上げて彼を第三の道へ引きずり込んだ。ここでは死者が山のように積み重なり、ここでは瓦礫の下で声がうめき、ここでは燃える家からひとびとが叫び、ここでは人間と動物が波と戦い、ここでは勇敢な男が懸命に救助し、ここでは死のように蒼ざめた別の男が立ちつくし、言葉もなく、震える両手を天に向かって伸ばしていた。ヘロニモは門に辿り着き、門を出た先の丘に登ると、その上で気絶し、沈んだ。

 十五分ほど極めて深く意識をなくしていたかもしれない。彼はようやく目を覚ますと、町に背を向けたまま地面に上半身を起こした。額や胸に触れてみても、なにがどうなっているのかわからなかったが、海からの西風が次第に戻ってくる生に吹き寄せ、目がサンティアゴの花盛りの地方を見渡すと、言いようのない恍惚感に襲われた。心乱したひとびとのかたまりがいたるところに見られたが、それだけが彼の心を締め付けた。何が自分と彼らをここへ導いたのか、彼にはわからなかった。ようやく振り返り、背後に広がる町が沈んでいるのを目にしてはじめて、彼はみずからの体験した恐ろしい瞬間を思い出した。彼は額が地面に触れるほど深く沈み込み、奇跡的に救ってくれたことを神に感謝した。そしてただ一つの恐ろしい印象が心に刻み込まれ、それ以前のすべての印象を追い払ったかのように、彼は嬉しくて泣いた、自分は多彩な出来事に溢れたこの愛しい人生をこれからも楽しむことができるのだ、と思って。

 そのあと、手にはめた指輪を目にすると、彼は突然ホセフェのことも思い出した。それとともに牢獄も、そこで聴いた鐘の音も、崩壊直前の瞬間も思い出した。深い憂いがふたたび胸を満たした。彼は祈りを捧げたことを後悔しはじめ、雲の上で支配する存在が恐ろしく思われた。彼は民衆の中へ混じって行った。ひとびとはいたるところ、所有物を救出しながら市門から飛び出していて、彼はおそるおそるアステロン家の娘のことを、その死刑執行がなされたかどうかをたずねたが、一人として詳細を聞かせる者はなかった。ある女が、うなじが地面につくほど恐ろしい量の食器を背負い、子供を二人胸にぶら下げながら、通りすがりに、まるで見て来たかのように言った、あの娘は首を刎ねられたよ。ヘロニモは振り返った。時間を考えれば刑の執行は疑えなかったので、ひとけのない森に腰をおろすと、全身を満たす苦痛に身をゆだねた。彼は自然の破壊的暴力がもう一度自分に襲いかかってきてほしいと願った。彼自身わからなかった、なぜ自分は死を、苦悩に満ちた魂が求めていた死を、まさにそれが全方位から救いに来てくれた瞬間に、みずから逃れてしまったのか。彼は今この樫の木が根を失い梢が倒れてきても決して揺らぐまいと決意した。さてその後、泣き尽くすうちに、熱い涙のただ中から希望がまた生まれたので、彼は立ち上がり、あらゆる方角に野原を歩きまわった。ひとが集まる山の頂はどれでも訪れ、避難の大河がなお動くすべての道でひとびとに近づいた。女の服が風に揺れれば震える足で向かったが、どれ一つ愛するアステロン家の娘を包んでいなかった。太陽が傾き、太陽とともに希望もまた落ちかけたころ、ある岩のへりを歩いていくと、わずかなひとしかいない広い谷への視界が開けた。どうするか決めかねたまま、ひとつひとつの集団のあいだを歩き抜け、ふたたび別の方へ向かおうとしたまさにそのとき、渓谷を潤す湧水のそばに突然一人の若い女が見えた。女は子供を水で洗い清めていた。彼の心はこの光景に躍り上がった。期待に満ちて岩を飛び降り、彼は叫んだ、ああ神の母なる聖母、聖なるあなた! それがホセフェであるとわかったのは、彼女が物音におそるおそる振り向いたときだった。どんなに幸福に二人は抱き合ったことだろう、天の奇跡が救ってくれたこの不幸な二人は!

 ホセフェは死へ向かい、すでに刑場の近くにいたが、轟音とともに建物が崩れ、突然引き回しの行列は四散した。彼女は恐ろしさにまず直近の市門へ走ったものの、すぐに意識を取り戻すと、向きを変え修道院へ急いだ。小さな、頼る者もないわが子が残されていた。彼女は修道院全体がすでに炎に包まれているのを目にした。そしてあの修道院長が、ホセフェとの最後の瞬間、赤子の世話を約束していたのだが、今まさに叫んでいた、門の前に立ち、助けを求めて、誰か赤子を救い出してくれと。ホセフェは飛び込み、向かってくる煙にも怯まず、全方位から崩れてくる建物の中へ進んだ。そして天使の庇護を受けたかのごとく、赤子と一緒に無傷で正面から出てきた。驚く修道院長の腕に抱きつこうとしたそのとき、修道院の前壁が倒れてきて、修道院長は修道女ほぼ全員とともに不名誉なかたちで打ち殺された。ホセフェはこの恐ろしい光景に震えた。修道院長の目をさっと閉じると、彼女は逃げた。恐怖に全身を満たされ、大事な男の子を、天がふたたび贈ってくれたのだから、この破滅から逃れさせようと。

 数歩も行かないうちに大司教の死体にも出会った、潰れた死体が教会の瓦礫の中から引きずり出されたところだった。副王の宮殿は沈んでいた。判決の下った裁判所は燃えていた。かつての父の家は湖となって煮え立ち、赤い湯気を上げていた。ホセフェは力をふりしぼって正気を保った。嘆きを胸から払いのけ、勇気をもって収穫物とともに通りから通りへと進んだ。すでに市門に近づいたそのとき、彼女はヘロニモが悲嘆に暮れた監獄が瓦礫に埋まっているのを目にした。この光景によろめき、意識を失い町角に倒れそうだったが、まさにその瞬間、背後の建物が倒れてきて、数度の揺れですでにもろくなっていたのだが、恐怖が力を与えてくれたので、また狩り立てられた。彼女は子供にキスをし、目から涙を拭うと、もはや周囲の惨状を気にもとめず、市門に辿り着いた。外へ出て振り向き、すぐに結論付けた、瓦礫になった建物の住人が潰されたとは限らない、と。

 彼女は最初の分かれ道で立ち止まり、この世で小さなフィリップの次に愛しいあの人があらわれはしないかと待った。彼女は進んだ、誰も来ず、ごった返すひとびとが増えたからである。先まで行き、また振り向き、待った。その後たくさんの涙を流しながら、松が影をつくっている暗い谷へと入り、消えたと信じた彼の魂に祈りを捧げた。その谷で恋人を見つけ、ふたたび幸福を見出したのだから、ここはまるでエデンの谷かと思われた。

 こうしたすべてを、彼女は感動に満たされながらヘロニモに物語り、彼に、彼女はし終えていたので、キスしてあげるよう男の子をさし出した。――ヘロニモは受け取ると、言いようもない父の喜びを感じつつ男の子を撫で、見知らぬ顔に泣き出した口を終わりない愛撫で閉じさせた。そのあいだに実に美しい夜が降りた。優しい香りに満ち溢れ、銀色に輝いて、ひっそりとして、詩人しかみられない夢のようだった。いたるところ、谷の湧水沿いに、かすかな月明かりの中、ひとびとが場所を決め、苔と葉でやわらかい寝床をつくり、苦しみに満ちた一日を休もうとしていた。あわれな人たちはなお嘆いていて、ここの男は家を、あちらは妻子を、三番目はすべてを失ったと言うので、ヘロニモとホセフェは濃いめの茂みに忍び入り、自分たちの魂がひそかに歓喜の声を上げても誰も悲しませないようにした。彼らは見事な石榴の木を見つけた。香る果実をいっぱいにつけた枝を大きく広げていた。ナイチンゲールが梢の中で淫らな歌をさえずった。ヘロニモとホセフェはこの幹にもたれることにして、ホセフェはヘロニモのふところに、フィリップはホセフェのふところにもたれ、ヘロニモの外套をかけて休んだ。木の影が伸びていった、月光を散らしつつ、三人の向こうへ。月が朝焼けに白むころ、彼らはようやく眠りに落ちた。話は無限にあった。修道院の庭のこと、監獄のこと、互いを思ってつらかったこと。そして思えばとても心動かされるのだった、どれだけの悲惨がこの世界を襲わねばならなかったことだろう、わたしたちが幸せになるために!

 彼らは決心した、大地の揺れが止み次第、ラ・コンセプシオンに行き、そこでホセフェの信頼する女友達に少し資金を借りられるだろうから、そのままヘロニモの母方の親戚がいるスペインに渡り、かの地で幸福な人生を終えよう、と。こうしてたくさんのキスに埋もれ、二人は眠りに落ちた。


2.

 目覚めると太陽はすでに高く、彼らは近くにほかの家族がいくらかいるのに気がついた。ひとびとは火をおこし、簡単な朝食を用意していた。ちょうどヘロニモも、どうやって自分の家族に食べ物を調達しようか考えていたが、そのとききちんとした服装の若い男が、腕に子供を一人抱き、ホセフェのもとまでやってきて、慎み深くたずねた、この可哀そうな子に、母親は怪我をしてあの木の下で横になっていますから、少しのあいだお乳をあげてもらえませんか。ホセフェはやや混乱した。彼が知人だとわかったからだったが、相手はこの混乱を誤って解釈し、さらに続けた、ほんの瞬間です、ドニャ・ホセフェ、この子はわたしたち全員を不幸にしたあの時刻から何も口にしていません。そこで彼女は言った、「わたしが黙ってしまったのは――別の理由からです、ドン・フェルナンド。こんな恐ろしいときですから、何を所有していようと、それを分け与えることを拒む人などいません。」そしてこの小さなよその子を受け取ると、自分の子は父親に与え、胸に寄せた。ドン・フェルナンドは善意に感謝してたずねた、みなさんもわたしと一緒にあちらの社会に加わりませんか、ちょうど火のそばで簡単な朝食を用意していますから。ホセフェは、お申し出、わたしは喜んでお受けしますと答え、あとに従い、ヘロニモも異議はなかったので、彼の家族のもとへ向かった。そこでホセフェは、心から温かく、ドン・フェルナンド夫人の二人の妹に、とても気品ある若い婦人で知り合いではあったが、迎えられたのである。

 ドン・フェルナンドの奥方ドニャ・エルビーレは、両足に大怪我をして大地に横たわっていたものの、栄養不足の息子がその胸に抱かれているのを目にして、ホセフェを愛想良く招き寄せ、腰を下ろさせた。ドン・フェルナンドの義理の父ドン・ペドロも肩に怪我をしていたが、ホセフェに心をこめて会釈した。

 ヘロニモとホセフェの胸の中で奇妙な考えがうごめきだした。これほど親しみと善意をもって扱われるのを目にすると、過去のことをどう考えたらいいのかわからなかった。刑場を、牢獄を、鐘の音をどう考えたらいいのかわからなかった。夢を見ていただけなのだろうか? それはまるでひとびとの心が、あの恐ろしい衝撃の轟音に満たされることで、すべて和解したかのようだった。彼らはあの衝撃以前の記憶に遡ることができなかった。ただドニャ・エリサベスだけは、友人に昨日の朝のあの演劇に招かれ、その招待を受けなかったが、ときおり夢見るような視線をホセフェのうえにとめていた。だがまた何か新たに恐ろしい不幸が報告されたので、現在からほとんど逃れてなかった彼女の魂は、すぐまた現在へ引き戻された。

 ひとが物語るところによればこうだった、町は最初の大揺れの直後、男たちの目の前で子を産み落とす女たちでいっぱいでした。修道僧たちはキリスト像を手に町中を走りまわり、叫んでいました、世界の終わりが到来した! 副王の命令で番兵がある教会を明け渡すよう求めても、こう答えが返ってきました、チリの副王などもはや存在しない! 副王が恐ろしい瞬間のただ中で絞首台を建てる必要があったのは、略奪に歯止めをかけるためだったのですが。ある無実の男は、一軒の燃え盛る家を裏口から走り抜けて助かったにもかかわらず、所有者の早合点で捕えられ、すぐに首を吊るし上げられてしまったのです。

 ドニャ・エルビーレは、彼女の怪我をホセフェが世話していたのだが、物語がまさにもっとも活き活きと交差した瞬間に機をとらえ、ホセフェにたずねた、この恐ろしい日にあなたのほうはいかがでしたか。ホセフェが彼女に、締め付けられた心でいくつか主要なところを述べると、この夫人の目に涙が溢れるのを見て、ホセフェは嬉しかった。ドニャ・エルビーレは彼女の手を掴み、握り締め、目で合図した、もう黙っていいと。ホセフェは聖人たちのなかにいるような気がした。抑えられない感情が、流れ去った昨日という日を、どれだけの悲惨を世界にもたらしたにせよ、救いと名付けた。天がこれまで彼女にもたらしたことのなかったほどの救いと。実際、この恐ろしい瞬間に、人間たちの現世の財産はすべて地に落ち、自然は瓦礫に埋め尽くされかけたが、人間精神そのものは、美しい花のように咲き上がるかと思われた。野を見渡すとあらゆる階級の人間が混ざり合って横になっていた、領主と乞食、貴婦人と農婦、官吏と日雇、修道士と修道女。互いに同情し、相互に助け、自分の命をつなぐために救いだしたものを喜んで分け合い、まるでみなが共有する不幸が、それを逃れたすべての者をひとつの家族にしたかのようだった。

 これまで世界は、何も言ったことにならないお茶会の雑談のために素材を寄こしてきたが、今や途轍もない行為の実例が物語られた。これまで社会であまり尊敬されなかったひとびとがローマ人のような偉大さを示した。山のような実例が、恐れなさ、嬉々とした危険の軽視、自己否定、神々しいまでの自己犠牲、そして何の価値もない財産のように、もう一歩歩けばまた見つかるもののように、躊躇なく命を投げ出す行為を伝えた。それどころか、この日その身に心動かされることが起こらなかった者、もしくはみずから高潔なことを行わなかった者は一人もいなかったので、各人の胸中の苦痛は甘い歓喜と混じり合い、ひとびとは胸の内では、みなが共有する幸福の総和は、一方で減ったのと同じ分だけ他方で増したと言えなくもないと思った。
 
 二人はこうした考察を黙ったままでし疲れたので、ヘロニモがホセフェの手をとって、口にできない明るい気持ちで、柘榴の森の葉陰の中を上へ下へと導いた。彼は言った、ひとびとの心のこうした雰囲気とあらゆる関係の変革を考慮して、わたしはヨーロッパに渡る決意を放棄したい。ご存命なら、わたしはわたしの件で常に好意的に振る舞ってくださった副王の前に跪く。希望はある(彼は彼女にキスをした)、きみと一緒にチリに残れると思う。ホセフェは答えた、似たような考えがわたしにも上ってきていた。わたしももう、父が生きていれば和解できることを疑わない。ただわたしは、跪くよりもラ・コンセプシオンに行き、そこから文書で副王と和解手続きをとることを提案したい。そうすればどんな場合にも港の近くにいられるし、最善の場合、つまり手続きが望み通りに向きを変えたら、すぐサンティアゴに戻ることができるから。しばし熟考して、ヘロニモは賢明なこの手段に喝采を与えた。そして彼女を導いてまた少し、明るい未来のときの上を飛び回りつつ小道をうろつき、彼女とともに社会へ戻った。


3.

 この間に午後が近づき、群がり動いていた避難民たちの心が、大地の震動がひいてやや静まるやいなや、ある知らせが広まってきた。地震が被害を与えなかった唯一の教会であるドミニコ会教会で、修道院長自身によって特別なミサが執り行われ、これ以上の不幸から守ってくれるよう天に願いを捧げるという。

 民衆はすでにあらゆる方面から飛び出し、幾筋かの流れとなって町へ急いでいた。ドン・フェルナンドの社会では、この聖祭に参加し、みなが共有する行列に加わるべきではないかという問いが提起された。ドニャ・エリサベスはいくらか心を締め付けられ、思い出してほしいと言った、どんな災厄が昨日教会で生じたことでしょう。こうした感謝の式典は繰り返し行われ、あとになるほど危機はより遠くへ過ぎ去り、その分明るく穏やかに感情に身をゆだねることができるはずです。ホセフェはいくらか興奮してすぐに立ち上がり、意見を述べた、わたしはこの顔を造物主の前の土に押しあてたい衝動を今ほど活き活きと感じたことはありません、彼が理解不能で崇高な力を示されている今ほど。ドニャ・エルビーレはホセフェの意見に盛んに賛意を表した。彼女はミサを聴くべきだという考えにこだわり、社会を導くようドン・フェルナンドを促したので、ドニャ・エリサベスを含め全員が立ち上がった。ただドニャ・エリサベスは、胸を激しく動悸させ、ささいな出発の準備もためらいがちで、どうしたのかとたずねても、わたしにも自分の中にどんな不幸の予感があるのかわからないと答えるので、ドニャ・エルビーレは彼女を落ち着かせ、自分と具合の悪い父のもとに残るよう求めた。ホセフェは言った、ではドニャ・エリサベス、この小さな男の子を引き取ってもらえますか。もうまたこうしてわたしのところに来てしまったのです。喜んで、とドニャ・エリサベスは答え、彼を捕まえようとしたが、子供は自分に生じた不正に悲痛な叫びを上げ、決して承諾しなかったので、ホセフェは微笑みながら言った、わたしがこの子を手元におきます。そして彼女はキスをして子供を静かにさせた。ドン・フェルナンドはこの振舞いの気品と優美を非常に気に入り、ホセフェに腕をさしのべた。ヘロニモは小さなフィリップを抱えてドニャ・コンスタンツェを導き、この社会を訪れていた残りの構成員があとに従った。こうした秩序で行列は町へ向かった。

 50歩も歩かないうちに、これまで激しくひそかにドニャ・エルビーレと話していたドニャ・エリサベスが、ドン・フェルナンド! と呼ぶのが聞こえ、落ち着かない足取りで急いで追いかけてくるのが見えた。ドン・フェルナンドは立ち止まり、振り向いた。彼女が近づいてくるのを待ち受け、ホセフェから身を離さずたずねた、というのも近づいてくれるのを待つかのように彼女がいくらか離れて立ち止まったのである、どうした? ドニャ・エリサベスはそう言われて彼に近づいたが、抵抗感があるようだった。そして彼に、しかしホセフェには聞こえないように、二言三言そっと耳打ちした。それで? とドン・フェルナンドはたずねた、そこから生じるかもしれない不幸というのは? ドニャ・エリサベスはその先を、心乱した顔の彼の耳にささやいた。ドン・フェルナンドの顔に怒りの赤が上った。彼は答えた、もういい! ドニャ・エルビーレには落ち着いていてほしいと伝えてくれ。そして彼の婦人をそのまま先へと導いた。

 彼らがドミニコ会の教会に着いたときには、すでにオルガンが壮麗な音楽を聴かせ、計り知れない人の群れが建物の中で波打っていた。雑踏ははるか教会前の広場まで伸び、壁沿い高く掛けられた絵画の額縁には少年たちが腰かけて、期待に満ちたまなざしで手には小銭を握っていた。すべてのシャンデリアから光が注ぎ、柱は夕暮れのはじまりとともに謎めいた影を投げ、一番奥の巨大な薔薇窓はそれを照らす夕陽そのもののように赤く燃え、そしてオルガンが沈黙すると、静寂が集会全体を支配した。誰一人、一つの音さえ胸にもたないかのようだった。かつていかなるキリスト教の大聖堂でも、今日のサンティアゴのドミニコ会大聖堂ほど情熱の炎を天に向けて上げたことはなかった。そしてどんな人間の胸よりも暖かい火をそこに加えていたのは、ヘロニモとホセフェの胸だった! 

 聖祭は説教で始まった。最長老の司教座聖堂参事会員の一人が礼装をまとい、説教台から執り行った。彼はゆったりと流れる上着に包まれた震える両手を高く上げ、称讃、讃美、感謝を捧げ始めた。このように崩壊し瓦礫と化した世界でも、人間は神に対して、どもりながらも話しかけることができます。彼は述べた、全能の者の合図一つで何が起こったことでしょう。最後の審判もこれほど恐ろしくはないでしょう。だが彼が、にもかかわらず昨日の地震を、大聖堂が受けた一つの亀裂を指差しながら、最後の審判の前触れに過ぎないと名指したとき、集会全体に戦慄が走った。続けて彼は、聖職者の雄弁術という川の流れに乗って、この町の風紀の堕落に触れ、ソドムとゴモラでさえ目にしなかった惨状の数々を非難し、ひとえに神の無限の寛容のおかげで、地震によっても町は完全には壊滅しなかったのです、と言った。

 しかしこの説教ですでに完全に引き裂かれていたわたしたちの不幸な二人の心が、まるでナイフに刺し抜かれたのは、司教座聖堂参事会員がこの機を捉えて、カルメル派修道院の庭で犯された神の冒涜について詳しく触れたときだった。彼はこの行為が世間で受けた寛大な措置を神の侮辱と名指し、呪いの言葉に満たして話の向きを変えながら、その行為者たちを文字通り名指して、その魂を地獄の悪魔に引き渡した! ヘロニモの腕につかまったまま震えながら、ドニャ・コンスタンツェが言った、ドン・フェルナンド! しかし彼は激しくひそやかに、二つが結びつくように答えた、「黙ったままで、ドニャ、眼球も動かさず、気絶して沈んだようになさい、それを合図にこの教会を出ます。」だがドニャ・コンスタンツェがよく練られたこの手段を実行するより先に、一つの声が叫びを上げ、司教座聖堂参事会員の説教を大声で中断した。離れろサンティアゴ市民、ここにその神を侮辱した人間たちが立っている! するとまた別の声が、恐怖に満たされ、周囲に驚愕の輪を生みつつたずねた、どこだ? ここだ! と第三の者が応え、神をも恐れぬ神聖さに満たされて、ホセフェの髪を掴んで引き倒そうとしたので、ドン・フェルナンドが押さえてなければ、ホセフェはよろめき、彼の息子ともども地面に倒れるところだった。あなたたちは気が狂ったのか? と青年は叫び、ホセフェの体に片手をまわした、「わたしはドン・フェルナンド・オルメス、あなたたちみなが知るこの町の司令官の息子だ。」ドン・フェルナンド・オルメス? と言ったのは、彼のすぐ前に立ちふさがった靴職人だった。彼はかつてホセフェのために働いたことがあり、ホセフェのことを少なくともその小さな両足と同じくらいよく知っていた。この子供の父親は誰だ? と彼はアステロン家の娘に対して無礼な反抗を見せた。ドン・フェルナンドはこの問いに蒼ざめた。彼はためらいがちにヘロニモを見たかと思うと、自分を知る者がいないか集会を見渡した。恐ろしい関係に強いられホセフェは言った、この子はわたしの子ではありません、ペドリーリョ親方、思い違いです。彼女は魂に無限の不安を感じつつ、ドン・フェルナンドを見ながら言った、この若い方はドン・フェルナンド・オルメス、あなたたちみなが知るこの町の司令官の息子です! 靴屋はたずねた、市民諸君、この若い男を知っている者はいるか? すると周りの幾人かが反復した、ヘロニモ・ルヘラを知っている者はいるか? いたら出てきてくれ! このときたまたま、全く同じ瞬間に、小さなフアンが騒ぎに驚き、ホセフェの胸を離れてドン・フェルナンドの腕に入りたがった。これを見て、あの男が父親だ! と一つの声が叫び、あの男がヘロニモ・ルヘラだ! と別の声が叫び、あの二人が神を冒涜した人間だ! と第三の声が叫んだ。石を投げろ! 石を投げろ! イエスの神殿に集うキリスト教徒よ! すると今度はヘロニモが叫んだ、やめろ! ひとでなしども! ヘロニモ・ルヘラを探しているならここにいる! 無実のその男性を解放しろ!――

 怒り狂ったかたまりは、ヘロニモの発言に混乱し、立ちすくんだ。複数の手がドン・フェルナンドを離した。まさにこの瞬間、重要な地位にあるさる海軍将校が急いで近づいてきて、この騒ぎを突き抜け、たずねた、ドン・フェルナンド・オルメス! きみたちに何が起こった? 今や完全に解放されたドン・フェルナンドは、真に英雄的な思慮深さで答えた、ああ、見てくれ、ドン・アロンソ、この殺人狂たちを! わたしにはどうしようもなかった、もしこの威厳溢れる男性が、狂った群れを静めるために、ヘロニモ・ルヘラだと名乗ってくれなければ。きみが善意を尽くしてくれるなら、この人を逮捕してくれ、この若い婦人と一緒に。そして二人の安全を確保してほしい。それから何の価値もないこの男も逮捕してくれ、とペドリーリョ親方を捕まえて、この男が暴動全体を煽動したんだ!靴屋は言った、ドン・アロンソ・オノレハ、あなたの良心にかけておたずねします、この娘はホセフェ・アステロンじゃありませんか? するとホセフェをよく知るドン・アロンソが返事をためらい、そのため複数の声がふたたび怒りに燃え、この女だ、この女だ! この女を死刑にしろ! と叫んだので、ホセフェはこれまでヘロニモが抱いていた小さなフィリップを小さなフアンとともにドン・フェルナンドの腕にあずけ、言った、行ってください、ドン・フェルナンド、あなたの二人のお子さんを救ってください、わたしたちのことはわたしたちの運命にゆだねてください!

 ドン・フェルナンドは二人の子供を受け取り、言った、わたしは自分の社会に危害が加えられるのを許すくらいならむしろ死にます。彼はホセフェに、海軍将校の剣を借りると、腕をさしのべ、後ろの男女にもあとに従うよう求めた。彼らは実際、こうした施設では十分な敬意をもって場所をあけてもらえたので、教会の外まで出た。そして救われたと思った。だが同じように人に満ちた教会前広場へ踏み入るやいなや、追いかけてきた狂ったかたまりの中から一つの声が叫んだ、この男がヘロニモ・ルヘラだ、市民諸君。なぜならわたしが父親だ! そして声は、ドニャ・コンスタンツェのわきにいたヘロニモをすさまじい棍棒の一撃で地面に叩きつけた。イエスさま、マリアさま! とドニャ・コンスタンツェは叫び、義兄のもとへ逃げた、だが、修道院の売女め! という声が別の方から響きわたり、第二の棍棒の打撃が彼女をヘロニモの隣に打ちのめした。なんてことを! と見知らぬ男が言った、これはドニャ・コンスタンツェ・シャレだったのに! どうして彼らはわたしたちをだました! と靴屋が応えた、正しい女を見つけ出して殺せ! ドン・フェルナンドはコンスタンツェの死体を目にすると怒りに燃え上がった。彼は剣を抜き、振るい、打ち込んだので、この男、惨状のきっかけをつくった殺人狂は、二つに切断されそうだったが、向きを変えて怒りの一撃をかわした。しかしドン・フェルナンドは押し寄せる群れに力でまさらなかったので、さようなら、ドン・フェルナンド、子供たちとお幸せに! とホセフェは叫び、さあ殺しなさい、血に飢えた虎たち! と自由意志で彼らの中へ飛び込み、この戦いに終わりをつけようとした。ペドリーリョ親方が彼女を棍棒で殴り殺した。そして飛び散った血を浴びたまま、私生児も母親の後追いで地獄へ送ろう! と叫ぶと、いまだ満たされぬ殺人欲でふたたび迫った。

 ドン・フェルナンド、この神のような英雄は、今や背中を教会にもたせかけ、左手に子供たちを抱き、右手に剣を握った。ひと振りするたびに稲妻のごとく一人ずつ地面に打ち倒し、獅子でもこれほど抵抗できまい。血を追い求める犬が七匹、彼の前に死んで横たわり、悪魔的集団の首領も傷を負った。だがペドリーリョ親方は休むことなく、ついには子供の一人の足を掴んで胸から引き剥がすと、頭上で円を描いて振り回し、教会の柱の角で潰した。するとあたりは静まりかえり、すべてが遠ざかった。ドン・フェルナンドは、自分の小さな息子フアンが目の前に横たわるのを目にした。頭から脳髄が流れ出ていた。彼は名前のない苦痛に満たされ、両目を天に向けた。

 海軍将校が戻ってきて彼を慰めた。今回の不幸におけるわたしの無為はいくつかの事情から正当化されるが、それでも後悔していると彼は言った。だがドン・フェルナンドはきみが非難されることは何もないと言って、ただ今から死体を運ぶのを手伝ってほしいと頼んだ。死体はすべて、訪れつつある宵闇の中を、ドン・アロンソの住まいへ運ばれた。ドン・フェルナンドも小さなフィリップの顔の上でたくさんの涙を流しながら、死体のあとに従った。その日彼はドン・アロンソの住居に泊まり、そして長い間、偽りの演技をしながら、妻に不幸の全容を教えることをためらった。あるときは彼女が病気だから、またあるときは彼女がこの出来事における彼の態度をどのように判断するかわからないからと言った。しかしその後まもなくして、偶然、ある来客によって起こったすべてが知らされると、この優れた婦人は黙って母としての苦痛を泣き尽くし、輝く涙を残したまま、ある朝彼の首もとに落ちてきて、彼にキスをした。ドン・フェルナンドとドニャ・エルビーレは、その後あの小さなよその子を里子として引き取った。ドン・フェルナンドは、フィリップをフアンと比べ、また二人の子供をどのように獲得したかを比べるたびに、自分はほとんど喜ばなければいけないくらいだと思った。

[終]

2011年3月18日金曜日

地震から一週間

翻訳作業を建て直す

 地震から一週間。わたしにとって最大の被害は仕事や論文が滞ったこと。まあ自主的に滞らせたのだが…。

 というわけでスケジュールをさらっと立て直す。

<以前立てたスケジュール>
〜3月12日(土) 後半のチェック、推敲
3月13日(日)〜4月10日(日) 前半の翻訳(130ページをだいたい5ページ/日で進める計算)
4月11日(月)〜4月25日(月) 推敲・全体の調整

<スケジュール修正版>
〜3月20日(日) 後半のチェック、推敲
3月21日(月)〜4月10日(日) 前半の翻訳(130ページをだいたい7ページ/日で進める計算)
4月11日(月)〜4月25日(月) 推敲・全体の調整

一週間が消えたので少し大変になったけど、まだ対応可能。4月からは他の仕事も始めたいので、3月中にできるだけ進めるつもり。

2011年3月17日木曜日

地震の6日後

 今日で地震から6日。外でもネット上でもいろいろなことがあった。

 状況の変化のなかでいろんなことを感じ考えている。

 「一人一人が今できることをしよう」という流れがある。でもそれは、誰もが突然原子力についての「にわか科学者」になったり、反原発の「にわか活動家」になることではなく、これまでの活動を今の状況に活かすことだと思う。「地震以前/以後」という断絶なんてない。議論の枠組みとしては設定可能だけど、現実に全てがゼロにリセットされたわけではない。だからこれまでの時間を失わないことが大切だと思う。これまで生きてきた時間と現在の時間をどう接続するか。そこでアイディアが浮かんだら、実行できるひとから実行すればいいと思う。

 今、映画、演劇、美術展、イベント等の中止と延期が相次いでいる。その善意は否定しない。けど、「中止しました」「延期しました」、そこで時間を終わらせないでほしい。「これまでの時間」を終わらせる動きが加速するのは、結果として誰にとっても利益のないことだと思う。「これまでの時間」を「中止」や「延期」というブラックホールに吸い込ませて終わらせて、突然ゼロからにわか科学者/活動家になるのは馬鹿げている。それは単純に効率が悪いし、ひとはどんな状況でも一番好きなことを続けるべきだ。だから今こそ、「それまでの時間」と「今の時間」をつなげたい。そこから見えてくるもの、言えること、できることを、どんな分野の人でも少しずつ発信すればそれでいいと思う。陳腐な言い方だけど、ピンチをチャンスに変えて、逆転ホームランを狙いたい。

 ポジティブな力を支援したい。地震発生以来、ぼく自身も映画『ヒアアフター』の上映中止や東京電力記者会見での記者たちの態度や菅総理の言動など、怒りを覚えずにはいられないことがいくつもあった。ただ、そうしたときに対立をつくってしまうこと、「敵」をつくって一方的に批判することがどれだけ生産的なことなのか、疑問に思うようになってきた。「不謹慎だから自粛しろ」と言うひとたちも、被災地へ向けた「想像力」によってそうした発言をしているのだと思う。主観的には合理的だしポジティブなエネルギーを働かせているのだと思う。世界には「正しい想像力」と「誤った想像力」があるとぼくは断言できない。もしその区別が存在するとしても、押し付けることはできないから結果は同じだろう。ただ、「不謹慎だから自粛しろ」と言うひとの想像力が、そのとき一番役立つ場所で使われているとは、ぼくはまったく思わない。よりよいエネルギーの使い道はたくさんあると思う。主観的にはポジティブなエネルギーを、もっと生産的創造的な流れに合流させることができないものか。ハイナー・ミュラーによれば、ベルトルト・ブレヒトはそれを「スキャンダルによるイデオロギーの克服」と言った。ひとびとのエネルギーの使い方を批判・否定するだけなら簡単なのだ。しかし批判する人間が「より正しい」流れをつくれているかというと、必ずしもそうではない。よい流れをつくるのはまったく容易でない。しかしよい流れをつくることができないなら、どんな批判も、「ポジティブなエネルギーの無駄な使い方」という点では、「不謹慎だから自粛しろ」発言と同じなのではなかろうか。

 今はまだいろんなことがよくわからない。今書いた考えもまたすぐ変わるかもしれない。しかしハインリヒ・フォン・クライストがかつて書いたように、「わたしたち」が知っているのではなく、知っているのは、何よりもまずわたしたちのある種の「状態」なのだ。現場でしかわからないことがある。今の「状態」でしか知れないこと、感じられないことがたくさんある。それは確かだ。いろんなものを知覚し、何かを知ることができればいいと思う。危なくなったらすぐ逃げる。それも大事。

2011年3月16日水曜日

地震の5日後

 地震発生以来、後回しにできることはすべて後回しにして、地震とその後の経緯にできるかぎり浸ってきた。もちろん事態の成り行きが気にかかるのもあるけど、今ここでしか知覚し記憶できないことがあると思ったからだ。あるいはそう感じたからだ。しかしそろそろ今後のリズムをつくろうと思う(余震がそれを許すなら)。翻訳も進めなければいけないし、ドイツ語の授業もある。

 家を空けると2匹の猫たちだけが残されるので、これまではあまり外出する気にならなかった。しかし思い切って今は最寄り駅前のカフェで作業している。あたりまえのことだけど、「外」に出るだけで物事の見え方はまったく変わる。家から出るという物理的な「外」もそうだし、メールやツイッターの「外」としてブログを書くこともそうだ。時間の複数化、空間の複数化。状況に応じてうまくガスを抜きながら、複数の場所と時間のなかで今後のリズムをつくりたい。

2011年3月15日火曜日

「現場でしかわからない」

感情のある種の興奮がどれだけ必要不可欠か(たとえすでにもっている考えを再生産するためだけでも)ということは、授業を受けて勉強しただけの偏見ない人々が試験を受け、前置きもなく「国家とはなにか」「財産とはなにか」などと問われているのを目にするとき、よくわかることが多い。もしこうした若者たちがなんらかの社会で国家や財産についてある程度話し合ったことがあるなら、彼らは様々な概念の比較、抽象、統合によって容易に定義を下せるかもしれない。しかし感情の準備がまったく欠けているならば、彼らは口籠るだろう。そしてそこから、彼らは知らないのだ、と結論づけるのは、ただ愚鈍な試験官だけである。というのも、「わたしたち」が知っているのではなく、知っているのは、何よりもまずわたしたちのある種の「状態」なのだから。国家とは何か、昨日暗記して明日忘れるような人々、そんなまったく卑しい精神だけが、こうした場合に答えを用意しているものだ。自分の優れた面を示すためには、公開試験はどんな機会よりも悪いかもしれない。

「語るにつれて思考が次第に完成していくことについて」
(ハインリヒ・フォン・クライスト)

 「知」は「状態」においてしかあらわれない。あるいは「状態」そのものが「知」である。要するにクライストは、「何事も現場でしかわからない」と言っている。「国家とはなにか」「財産とはなにか」という問いを試験会場で答えることはできない。国家が動いている現場、財産が動いている現場でしか答えを知ることはない。それを信じたからこそ、彼は哲学者でなく実作家の道を選んだ。彼にとって物語とは「現場」である。「国家とはなにか」という問いに対して哲学的・抽象的に与えられた答えを暗記するだけでは、わたしたちは何も知ることができない。しかし物語という「現場」に「状態」が置かれた場合には、そのとき限りかもしれないが、何かを知る可能性が生まれる。何かを知ることはまったく容易でない。読者が何かを知ることができるように、読者に現実的に役立つように、クライストは戯曲や小説を書き、雑誌や新聞を発行した。

 人間は知を支配できない。知を備えていると自称できるのは「まったく卑しい精神だけ」だ。知を支配しようとせず、みずからの「状態」に応じて「知る」ことができなければならない。理性ではなく、知覚、感情、反応が必要だ。脳ではなく身体が重要だ。事態を事前にコントロールし尽くそうとするのではなく、状況を知覚し、感情に従い、すばやく反応すること。それが「知る」ことであり、知と行為が一致するその瞬間を、クライストは構想していたのである。

2011年3月14日月曜日

翻訳「考えることについて」

「考えることについて ひとつの逆説」(ハインリヒ・フォン・クライスト)

 考えることの効用を、誰もが天高く褒め称える。とりわけ冷静に、長時間、行為の前に考えることを褒め称える。もしわたしがスペイン人なら、イタリア人なら、またフランス人なら、それもよかろう。しかしわたしはドイツ人だから、わたしはいつか自分の息子に、とりわけ彼が軍隊に入ろうとするようなことがあれば、以下の話をしようと考えている。

 「考えることは、よく知っていてほしい、行為の前より行為の後が、時機としてはるかに適切だ。考えが決断以前に、もしくは決断の瞬間そのときに作用すると、考えは、すばらしい感情から湧き出る行動に必要な力を、混乱させ、妨げ、抑圧するだけらしい。反対に、行為がなされた後ならば、本来人間に与えられた目的のために考えを使うことができる。つまり、今回の方法はどこに欠陥があったのか、どこが脆弱だったのかを意識し、来るべき更なる事態に備えて感情を調整できるのだ。生はそれ自体、運命との闘争であり、行動も格闘と比較できる。格闘家が敵を捕まえる瞬間には、単なる瞬間的な直観にしか考慮を払わない。敵を倒すにはどの筋肉に負荷をかけどの間接を動かすべきかと計算するような者は、間違いなく敗北し、屈服する。しかし勝利した後か敗れた後ならば、どれくらいの力をかけることで敵を倒すことができたのか、あるいは立ったままでいるにはどう足を使うべきだったのかと考えることは、目的に適い、適切だ。この格闘家のように生を捕えることができない者、戦いのあらゆる展開に応じて、あらゆる抵抗、圧力、転調、反応に応じて、臨機応変に生を感覚し感受できない者は、何を望もうとも、どんな会話の中でも、自分の意志を押し通すことができないだろう。まして戦争で意志を押し通すことなどできないだろう。」

(1810年12月7日付「ベルリン夕刊」にて発表)

2011年3月13日日曜日

地震の翌々日

 明日、妻が里帰り出産のために東京から群馬に戻る。今後3日以内にふたたびマグニチュード7.0以上の地震が起きる確率は70%とのこと、出産を間近に控えて不安だが、きっと大丈夫だろう。たくましく子育てをスタートしたい。

 個人的には被災地の猫たちを心配している。飼い主と共に無事に避難できただろうか。犬と違ってつないでおけば大丈夫という動物ではなく、避難生活は著しく困難だと思う(そもそも避難所に入れてもらえないという情報もある)。だからといって北国で外に放すわけにもいかない。寒いだけでなく、家の中で育った猫たちは野生のものを食べるのが難しい。この地震で被災した猫たちができるだけ早く平穏な日常生活を取り戻せるよう願っている。

2011年3月12日土曜日

地震の翌日

 地震が日常を中断すると、いろいろなリズムが狂う。仕方ない。また新しいリズムをつくろう。

2011年3月11日金曜日

地震

 地震発生時には西早稲田のベローチェにいた。本当に不安になるとまわりの人と話したくなることがよくわかった。携帯電話は最初から不通だったので、スカイプから家の固定電話にかけ、出産間近の妻と連絡をとる。ベローチェにいる限りではそこまで被害が大きいとは思わなかったので、いつも通り都電で帰ろうとしたが、最低2時間は動かないというアナウンス。タクシーに乗ろうと明治通りを歩くが、一台もつかまらず、最終的には高田馬場駅まで来るも、すごい行列で乗るどころではない。電車も当然止まっている。どうやらバスもまともに動いてない。仕方がないので走って&歩いて帰る。結局地震発生から2時間弱で早稲田→王子を帰ることができたが、非常に効率の悪い動きだった。災害時の動き方を一度でも考えたことがあったら、もっとずっと早く帰れた。まずは集められるだけの情報を冷静に集め、現実的に残っている選択肢をできるだけ早く採ることが重要だと思う。まだこれからどうなるかわからないけど、ひとまず妻と猫たちと無事でいる。それにしてもGmailとツイッター、イーモバイルには感謝。すばらしいサービスだ。携帯電話はダメだ。災害時にまったく使えない携帯電話など、どんな意味があるというのか。

2011年3月10日木曜日

ドイツ語教師もしている

 クライストのことばかり書いているが、現時点で研究は一銭のお金ももたらさないので、同時にドイツ語教師の仕事もしている。個人授業。家庭教師。カフェとかでやるやつだ。

 わたしの授業の特徴は、どんな相手に対しても同一のカリキュラムを押し付けるのではなく、「プロジェクト方式」で授業を進めることだ。

 どういうことか。

 通常の教育現場では、複数の個人が同一カリキュラムに沿って学習を進める。しかしながら、そもそも一人一人の個人は学習に対して異なる目的意識、意欲、適性をもっている。したがって、教師の側から見れば一つのカリキュラムを誰にでも適用できることはたいへん「効率のよい」やり方だが、生徒にとっては自分に適しているとは限らない方法を押し付けられることになり、非常に「効率が悪い」。

 「だからわかるまで丁寧に個人指導する」、というのがおそらく普通の家庭教師、個別指導塾のやり方だと思う。だがその方法はやはり依然としてある一定のカリキュラムを与え、それにつまずいたときに手厚くケアする、ということに過ぎない。多かれ少なかれ型にはめ込む点では同じである。

 「プロジェクト方式」では、その人がやりたいこと、その人に必要なことしかやらない。「プロジェクト方式」で重視されるのは、授業開始前の事前面談、十分な打合せだ。個人授業であることを活かして、希望者一人一人がドイツ語を学びたいと考えている、その目的、勉強の先にあるゴール、現時点でのモチベーション、語学への適性を教えてもらい、それを十分に考慮して、各人専用の学習方法と進め方を設定する。モチベーションのないことをいくらやっても成果は上がらないので、もしたとえば「会話は不要」というなら会話は一切やらない。何にもまして重要なのは目的であり「ゴール」の設定である。いつまでもダラダラ授業をするのではなく、ある程度明確なゴールを定め、そこに到達するために授業を進めていくので、「プロジェクト」方式と呼んでいる。もちろん、個々の「プロジェクト」は途中でいくらでもやり方を修正できる。内容だけでなくむしろ方法を重視すること、そして事前にできているカリキュラムをなぞるのではなく同時進行でやり方を修正・更新していくことが特徴なのだ。

 内容は初級文法、会話、作文など基本的なものだけでなく、専門的な論文の精読、ドイツ文学の翻訳、ドイツ留学に向けた試験対策など、なんでもやる。一応参考までにわたしのドイツ語の資格などを以下に挙げておく(もっとも、個人的には資格は教師の能力を証明するものではないと思う)。ちなみにわたしがドイツ語を勉強したのはおもに慶応大学/大学院およびドイツ・デュッセルドルフ大学である。

・ドイツ語上級試験(ZOP)合格(2004年)
・全国ドイツ語スピーチコンテスト優勝(2004年)
・ドイツ語検定1級合格(2005年)

ーーーーー

 さて、以上が授業方法・授業内容の簡単な説明です。

 今はまだ授業数に余裕があるので、もし勉強してみたい方がいらっしゃれば、080-6529-1015かttkhys@gmail.com、あるいはツイッターで@tatsukihayashi宛にダイレクトメッセージをください。授業は週1回120分、月4回が基本ですが、臨機応変に対応できます。料金は、どこかカフェなどでお会いして行う場合とスカイプを使って行う場合で異なり、リアル授業は3万円/月、ネット授業は2万円/月になります。

 ドイツ語の個人授業を初めて7年になります。そのへんの大学教授よりもずっと面白く、効率よく、目的に早く到達する授業ができます。ご関心のある方はぜひ一度お気軽にご連絡ください。

林立騎

2011年3月9日水曜日

翻訳の仕事もしている

 クライストのことばかり書いているが、現時点で研究は一銭のお金ももたらさないので、同時に翻訳の仕事を進めている。今回は初めて規模の大きい理系翻訳の仕事をいただいた。A4で約260ページだから、長さとしてはこれまでの仕事で最長。未完成の仕事だし、特に内容については触れないが、今後以下のようなスケジュールで進める予定。

〜3月12日(土) 後半のチェック、推敲
3月13日(日)〜4月10日(日) 前半の翻訳(130ページをだいたい5ページ/日で進める計算)
4月11日(月)〜4月25日(月) 推敲・全体の調整

これは他の仕事や研究を進めながら翻訳することを前提として考えられたスケジュールである。もし翻訳だけに集中できるならまったく別の予定を組むだろう。ただ、短期集中型の翻訳がよいのか、それとも少しずつ無理のないペースで進めるのがいいのかについては、一般的な答えはないと思う。テクスト次第であり、条件次第だ。

 今回、ジャンルとしては医療・技術・法制度等が交わり、しかも日本には存在しない概念や制度について書かれた文書の翻訳であるため、非常に複雑で難しいのだが、こうしたものを翻訳するのは文学とはまた別種の面白さがあると実感している。数学的な楽しみなのかもしれない。掃除機の取扱説明書を翻訳するのはつまらない算数という感じだろうが、今回の翻訳は数学的に複雑な解を求める作業といった感じで、とてもエキサイティングだ。また、翻訳しながら未知の分野について学べることも大変だが嬉しい。

 なにはともあれ、正確でわかりやすい翻訳をつくらなければならない。解のない文学翻訳とは異なる課題で、どこまでいけるか楽しみだ。もちろん、ちゃんとしたところまで必ずいく。クライアントの期待を必ず凌駕する。それが原則だ。

2011年3月8日火曜日

具体的な日に知ったこと

 今日は具体的に進んだのでよかった。

 さて、『ドゥルーズ 千の文学』という本がある。出版されたばかりで、初版2011年1月25日とある。アルトーやカフカ、ベケットをはじめとするドゥルーズが論じた文学者たちについて、専門家が短く紹介し、ドゥルーズとの関係をまとめている本だ。それがどうしたのかというと、ここに独立した項目として「クライスト」があり、そこで慶応大学教授の大宮勘一郎氏が、クライストにおける「『一般的』危機と『民主政』の関係」について短く触れているのである…。3日前、「クライスト研究においてはどうもまだ誰も触れてないようだが」と断ってクライストにおける「一般的」という語の問題を切り出したとき、わたしはまだこれを読んでいなかった。そして今日読んでたいへん驚いた。

 それは、「これを論じる研究者がいたか」という驚きではない。実はこの大宮勘一郎氏は、わたしの修士時代までの恩師なのである。そうなんです…。しかし彼と最後にクライストの話をしたのはおそらくもう4〜5年前。わたしは学部の卒業論文をクライストの「チリの地震」について書いて提出した(2006年)ものの、修士論文ではイェリネク『雲。家。』を論じた(2008年)からだった。もちろん4〜5年前にクライストにおける「一般」ということを議論し合った記憶はない。それでも同じ時期に同じようなことを書いてしまうのだから、師弟関係というのは恐ろしいものだ…。個人的にはたいへん興味深いことだと思った。

 演劇をやりますといって早稲田に移り、結局はクライストに戻ってきていることをわたしは大宮先生に報告しておらず、これ自体たいへん申し訳ない現状なのだが、次の論文を書いたら非礼を侘びにご挨拶に伺おうかと思う。それにはまず読んでびっくりしてもらえるような論文を書かなければならない。幸い、「演劇をやります」はまったくの嘘になってしまったわけではなく、むしろ「演劇」からクライストに近づくつもりだ。そのアプローチを彼はどう評価するだろうか。

2011年3月7日月曜日

具体的に進めねばならない

 論文はもっと具体的に進めないとな…。具体的に進んで、具体的に戻る。壊して、またつくる。まずは明日。

 だいたい以下の問題系があるので、これをいかに発展させ、組み合わせ、凝縮し、面白い文章にできるか。

1)政治理論、演劇理論、クライストの「モデル」
2)一般意志、危機、世論、民意、声、「喝采」、コロス、民衆、共同体
3)裁判、プロセス、戦争
4)悪、ネットワーク、秩序とその動揺

それでは明日もがんばろう。

「真理と裁判形態」

 以前読んだときは重要性を理解できていなかったが、フーコーの「真理と裁判形態」は非常に面白く、また重要な講演であることがわかった。特に演劇理論と演劇史に興味があるなら必読だろう。ベンヤミンは演劇の原型を裁判に求めたようだけど、その方向にさらなる通路を開いてくれる論考。ギリシア悲劇とコロスについて調べようと思って再読し始めたのだが、クライスト研究の(複数の)核心のひとつになりそうだ。今後も読み返す。

2011年3月6日日曜日

「一般」とは何か・資料

市民が互いにいかなるコミュニケーションもとらず、人民が十分に情報を与えられた上で決断するなら、数多くの小さな差異のなかから常に一般意志が現れ、その決断はつねによいものとなるだろう。
[…]
 真に一般意志の表明を得るためには、国家のなかに部分社会が存在せず、また各市民が自分自身の意見のみを代表することが重要である。
[ルソー『社会契約論』、東浩紀の翻訳を参考にドイツ語レクラム文庫版31頁から重訳]

ルソーは、『社会契約論』と同年に出版した『エミール』の第二篇で、まさにこの『社会契約論』を参照しながら、人間の依存を「自然に由来する事物への依存」と「社会に由来する人間への依存」に分け、一般意志への従属は人間への依存ではなく事物への依存であり、だから強固でよいものなのだとはっきりと記している。
 一般意志は人間の秩序ではなくモノの秩序に属する。それはコミュニケーションの結果としてではなく、あたかも自然物であるかのように立ち現れる。そして政府はつねにそのモノに従わなければならない。ここにこそルソーの政治思想の核心がある。
[東浩紀『一般意志2.0』第3回、『本』2010年2月号、19頁]

ルソーは代議制を否定しただけではない。政党政治を否定しただけでもない。彼はそもそも、すべての市民が一同に会し、全員がただ自分の意志を表明するだけで、いかなる意見調整もなしにただちに一般意志が立ち上がる、そのような特殊な社会を夢見ていた。というよりも、ルソーは、たとえその実現がいかに夢想的に見えたとしても、そのような社会が実現しなければひとは決して「自由」にはならないと考えていた。
[同上、20頁]

たとえ何百万人の人々の意見が一致してもそれは何ら世論となるものでなく、その結果は単に個人の意見の集積にすぎないからである。こういう方法では共同意思すなわち一般意思(ヴォロンテ・ジェネラール)は生ぜずして個人意思の 集積すなわち全体意思(ヴォロンテ・ドゥ・トウ)を生ずるにすぎない。
[カール・シュミット『憲法論』、阿部・村上訳、285頁]

2011年3月5日土曜日

「一般」とは何か

 考えるところあってクライストの主要著作にallgemein「一般的」(英語のgeneral)という語が何回どこに出てくるか調べた。もちろん今日一日で全ての著作に目を通したわけではなく、PDFに検索をかけただけだ。クライストの主要著作はPDF版がクライスト・アーカイブのウェブで公開されていて、誰でも利用できる。

 件の単語は21回登場していた。そして予想通り、多くが「危機」や「災害」や「敵」に関係していた。

 クライスト研究においてはどうもまだ誰も触れてないようだが、allgemeinというこの語をクライストはルソーの影響下で使っているのではないかとわたしは考えている。つまりルソーの「一般意志(英訳はgeneral will)」に由来しているのではないか、ということだ。この「一般」というのは、階級や職業や性別に関わらず全体に関係するという意味だが、クライストはそれを「危機」を通じて実現するものだと考えていたのではないか。伝統も思想も制度も共有しなくとも、「危機」を共有することで「一般性」は実現し、「一般意志」があらわれる。これは彼の民主主義論にもつながる。最重要文献は「オーストリアの救済について」という小論。

 この問題系にはクライストの問題点ももろもろ含まれているのだが、ひとまず今日はこのあたりで。以下は本日の参考映像。たいへん面白い。






ルソーからクライストへ

 クライストとルソーの接点が見えてきた。ひとまず去年書いた記事「憲法(3)」および「憲法(4)」を参照いただきたい。続きはまたのちほど。

2011年3月4日金曜日

ネットワークと行為

 クライストにおける「悪」の問題に関しては、昨年11月に『シュロッフェンシュタイン一族』について以下のようなメモを書いていた。

結局、すべての根本原因であるような「悪」は存在しないということ。何らかのきっかけで誤解や不信が始まり、それがほとんど自動的に大きくなってしまう。ゲルトルーデの台詞はそうしたシステムにおいてしか語られえない、すなわち、Drehen freilich / läßt alles sich.(「もちろん全ては/反転可能」)ということ。特定の「内容」や「伝統」をひとびとはもはや共通了解としておらず、「言葉」あるいは「論理」そのものが問題となっている。個々人の考えや思いは一般化できない(クライストにおいて「一般的」なものはカタストロフだけだ。それとルソーの「一般意志」の関係、あるいは「伝統」との関係はおそらく非常に重要)。何を言おうとも、常に「逆もまた然り」と反論されてしまう。他方で、自分で自分の論理システムを閉じてしまったルーペルトのような人物には何を言っても無駄になる。そのような時代の「論理劇」としての悲劇をクライストは書く。この点で重要な人物はルーペルト。彼の不安定さ、怒りと不安、復讐の確信と突然の自信喪失、彼こそクライストの時代の人物だ。一貫性のなさ、一貫性の不可能性が「もうひとつの演劇」の可能性だったのではないか。共通了解がなく、一貫性が不可能だからこそ、クライストの人物たちは作中でいとも簡単に変化する。ジルベスターも最後は復讐に赴く。一貫した「善」などない。理想化された、あるいは心理的に典型化された「性格」はない。なぜならそんな「性格」として生きることは現実に不可能だったからである。こうしたことがいわゆる「カント危機」とどれだけ関係しているかはまだわからない。なぜなら、カントが問題にしていたのは究極的な意味での「物自体」の認識、人間の認識能力の限界であって、言語と現実の関係とは必ずしもいえないからである。 [クライスト(9)より]

 クライストもまたネットワーク的な思考で「悪」の問題を考えた。たとえば、一つの「悪」と呼ばれる出来事が後世において数千の「善」と呼ばれる出来事に結果的につながったならば、その原因となった「悪」はそれでも「悪」なのかという問題提起をしている。彼は明らかに絶対的な「悪」を信じていない。むしろ物事の連鎖の仕方に興味があるのだ。

 したがって、クライストにおいては「善悪」それ自体を描くことよりも、むしろ「システムが自動的にカタストロフへと向かうこと」が問題になる。「悪」の問題よりもプロセスの問題。しかもそこでは「言葉」が非常に重要な役割を果たしている。プロセスを先へと押し進めるのは常に「言葉」である。

 ところで、いくつかの単語について。

エマージェンシー(emergency 緊急事態)という語はエマージ(emerge 現れ出る)から生じていて、その反対語のマージ(merge)はラテン語のメルゲレ(mergere 液体に沈められた、浸された)から派生している。“緊急事態”は普通の状態からの分離であり、新しい空気の中への突然の侵入を意味し、そこではわたしたちは危急の事態に際して上手く対処することが求められる。カタストロフ(大惨事)という言葉は、ギリシャ語のカタ(kata 下へ)と、ストレイフェン(streiphen ひっくり返す)から来ている。カタストロフは予想外の展開を意味し、かつてはストーリーのどんでん返しを意味していた。予想外の状況になることは必ずしも悪くないが、これらの言葉は悪運を暗示するようになった。 [レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』、亜紀書房、22−23頁]

クライスト作品では、まさに「新しい空気の中への突然の侵入」が生じ、これまで大地を支えてきた秩序が突如としてひっくり返る。そしてその出来事に明確な原因を求めることができない。自然災害や、誰が何の目的でつくったのかわからない契約が、物事を動かし始め、事態は雪だるま式にエスカレートしていく。出来事の連鎖の中で「善」と呼べそうな行為や「悪」と呼ばざるをえない行為が行われる。

 しかしクライストがそうした作品を書いた目的は、もっと大きなところにあったはずだ。事物が終わりなく連鎖し、ネットワーク上の思わぬ部分に影響を与え、手の付けられない自動的なプロセスを生み出していくときに、どうすれば何かを支持したり非難することができるのか。「善悪」が相対的なものになってしまうときに、それでも「善悪」を名指すにはどうすればよいのか。何が何に影響を与えるかわからないときに、どうすれば行為できるのか。哲学者たちが「思考するとはどういうことか」を考えたのと同じように、クライストは「行為するとはどういうことか」を考え、実践していた。その可能性は彼の書き残したものからまだまだ汲み上げられるはずなのだが…。

 今日は時間切れ。これから産婦人科に行くので、続きは明日以降。たいへん混乱したメモになってしまった。

配電盤としての悪

 村上春樹は、河合隼雄との対談「『アンダーグラウンド』をめぐって」の中で以下のような発言をしている。

僕は昔から自分の小説の中で、悪というもののかたちを書きたいと思っていました。でもうまくしぼりこんでいくことができないんです。悪の一面については書けるんです。たとえば汚れとか、暴力とか、嘘とか。でも悪の全体像ということになると、その姿をとらえることができない。 [『約束された場所で』、文春文庫、273頁]

村上春樹が「悪の一面」しか書けてないとはわたしは思わない。非常にクリティカルで、かつ消化できない異物感を与えるポイントが、彼の書く「悪」にはある。それは「悪がポジティブに働くこともある」という部分だ。『ねじまき鳥クロニクル』の加納クレタと綿谷昇の関係がそうだし、暴力もそういう機能をもつことがある。

 村上春樹を読む上で重要なキーワードのひとつは「配電盤」だ。それがはっきりあらわれたのは第二作『1973年のピンボール』である(だからこの本が海外で読めないことを残念に思う)。さて、「配電盤」の何が重要なのか。「配電盤」とは、「電気回路の開閉や電気系統の切換えを行うための設備」である。電気を通過させ、配置するためのメディウム。そして村上春樹の登場人物たちは、「通過のメディウム」というこの意味において、みな多かれ少なかれ「配電盤」なのである。主人公や脇役といったヒエラルキーは関係ない。誰もがメディウム=媒介=巫女なのだ。例えば『羊をめぐる冒険』のキキ(この名前が判明するのは『ダンス・ダンス・ダンス』においてだが)。彼女は作中で突然消える。彼女は主人公の「僕」を通過してしまったのだ。そこに見られるのは、「脇役は主人公を通過させるための配電盤である」というような中心を持つ秩序ではない。誰もが誰かの配電盤であり、誰もが誰かを通過して成長し、誰かにただ通過されて傷つくのである。配電盤は一つではない。それは無数に存在する。

 そして「悪」もまた一つの配電盤で、「悪」を通過することで決定的に損なわれる者もいれば、「悪」を通過することで回復し、成長する者もいる。「悪」は絶対的なものではない。誰もがそこから一つの同じ影響を受けるわけではない。村上春樹の物語とそこにおける「悪」は硬直していない。だからこそ村上春樹の小説は大きな動揺をもたらす。そこに描かれている「悪」がひとを救うという事実をどう考えたらいいのかわからなくなるのだ。しかしそれこそ「悪」の本質的な一面である。もし「悪」が一方的にたたきつぶせばよい何かなら、人類がこれほど長く「悪」の問題に囚われることなどなかっただろう。

 村上春樹の物語にはゴールがない。中心もない。誰もが誰かを通過し、誰かに通過され、何かに出会い、出会われる。電気は絶えず行き交い続け、終わりはない。物語は線的ではなく、ネットワーク的である。だからこそ、一度「悪」によって損なわれたからといって、それが決定的な終わりを意味するとは限らず、どこか留まることのできる場所に到達したからといって、そこに居続けられるとは限らない。それは希望であると同時に不安である。答えはない。救済の可能性と崩壊の可能性は背中合わせになっている。それが世界の構造なのだ。

 ほんとうはクライストにおける「悪」について書くために、その導入として村上春樹のことを書きだしたのだが、予想より長くなってしまったのでここで一旦切る。

2011年3月3日木曜日

クライストのコロス

 仕事のためにレーマンのハイナー・ミュラー論「モノローグとコロスのあいだで ハイナー・ミュラーのドラマトゥルギー」を読み進め、次のクライスト論でも「コロス」は重要なポイントになるなとヒントを得た。

 クライストの作中に出てくるコロスもしくは民衆は、アリストテレスやシラーやシュレーゲルの定義するコロスとはだいぶ違う。クライストのデビュー作『シュロッフェンシュタイン一族』はコロスの場面から始まるが、それは少年少女からなるコロスで、しかも呪詛の言葉で復讐を誓う。戯曲の冒頭から少年たちが「復讐だ! 復讐だ! 復讐だ!」とか言う。これはいわゆる「客観的審級」とも「理想的観客」ともだいぶ違う。

 それにしてもコロスに関する日本語の研究書がないことに驚いた。日本のギリシア劇研究がどうなっているのか全然知らないが、大丈夫なのだろうか。他方、ドイツ語に関しては、ここ何十年かの演劇がテクストにおいても上演においてもコロスを重視してきたためだと思われるが、いくつかあるようだ。『アイナー・シュレーフのコロス演劇』とか。

 コロスに関する基礎的な知識さえあやういので判断がつかないのだが、わたしがすでに知っている演劇理論でコロスに関してもっとも興味深いのは、ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』における以下の部分だ。

古典古代の訴訟――とりわけ刑事訴訟――は、原告と被告という二つの役割だけに立脚し、裁判官による審理手続きを欠いていたがゆえに、対話である。古典古代の訴訟は合唱隊をもっていて、これは、一部は誓言保証人のなかに[…]、また一部は裁判に対して慈悲を嘆願する被告の盟友たちの一団のなかに、そして最後の一部は、裁きを下す人民集会のなかにあった。[…]ギリシア悲劇は、訴訟手続きのこのイメージのなかに入ってくる。ギリシア悲劇においても、ひとつの調停審理が行われるのである。[…]劇作家の意識において神話が審理なのだとするなら、彼の作品は、その審理の写しであると同時に再審でもある。そして、この訴訟全体が、円形劇場の広がりの分だけ膨らんだ、この再審には、共同体が監督機関として、いやそれどころか、裁きを司る機関として臨席する。共同体の側では、和解について裁定しようとし、この和解の説明のなかで劇作家は、英雄たちの事蹟の記憶を更新するのである。だが、ギリシア悲劇の結末にはつねに、<証拠不十分>という響きがまじっている。[…]悲劇のまえかあとに演じられるサテュロス劇は、上演された訴訟のこの<証拠不十分>の結末に対する準備もしくは応答をなしうるのはただ喜劇による感情の高揚だけである、ということの典型的な現われなのだ。 [ちくま学芸文庫、上巻248-250頁]

クライストが取り組んだのはまさに「裁判としての演劇」だった。その中でのコロスの役割については、一つの定義を見つけようとするよりも、ベンヤミンに倣って複数の「あらわれ方」を記録しながら考えたほうがいいのかもしれない。実際、コロスを構成するひとびとも様々だし、発言や行動の内容も場合によって違うから、無理矢理まとめようとするとクライストを貧しくしてしまいそうだ。

 演劇、裁判、声、民衆、秩序の動揺と再構築。このあたりが論文では問題になるのだが、どこからどう取り組んだらいいのか、まださっぱりわからない。しかしクライストがわたしにとってfood for thoughtの塊であることはたしかだ。実際のところ、民衆の声が法的秩序を揺るがすことを、わたしたちはどう考えたらいいのだろう?

リズムを断ち切らないこと

 村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んだ。実用的な本だ。

早く走りたいと感じればそれなりにスピードも出すが、たとえペースを上げてもその時間を短くし、身体が今感じている気持ちの良さをそのまま明日に持ち越すように心がける。長編小説を書いているときと同じ要領だ。もっと書き続けられそうなところで、思い切って筆を置く。そうすれば翌日の作業のとりかかりが楽になる。アーネスト・ヘミングウェイもたしか似たようなことを書いていた。持続すること――リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気を使っても気をつかいすぎることはない。 [文春文庫、17−18頁]

生命にリズムを与えることは難しい。機械的なリズムを無理矢理押し付けても人間の身体や精神はついていけない。身体や精神が返してくるフィードバックを常に正確に感じ取りながら(「内なる声」を無視しないこと)、少しずつリズムをつくっていかなければならない。また、かたちの落ち着いたリズムであっても、絶えず点検を怠らず、メンテナンスし続けなければならない。

2011年3月2日水曜日

「悪」を抱えて生きる

河合 だからね、本物の組織というのは、悪を自分の中に抱えていないと駄目なんです、組織内に。これは家庭でもそうですよ。家でも、その家の中にある程度の悪を抱えていないと駄目になります。そうしないと組織安泰のために、外に大きな悪を作るようになってしまいますからね。 [「『悪』を抱えて生きる」、村上春樹『約束された場所で』所収、文庫版308頁]

村上 人間というのは自分というシステムの中に常に悪の部分みたいなのを抱えて生きているわけですよね。[…]ところが誰かが何かの拍子にその悪の蓋をぱっと開けちゃうと、自分の中にある悪なるものを、合わせ鏡のように見つめないわけにはいかない。だからこそ世間の人はあんなに無茶苦茶な怒り方をしたんじゃないかという気がしたんです。 [同上310〜311頁]

真実の瞬間 それは鏡に
敵の姿が映るとき    ―ハイナー・ミュラー

 なぜかここ数カ月でゆっくり村上春樹を読み返していて、『風の歌を聴け』から始めて、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『ねじまき鳥クロニクル』と進めてきた。次のクライスト論はある意味では村上春樹論にもなると思う。両者に共通する点の一つが、この「悪」の問題。

 こういう問題に取り組むからこそ、逆になんとなく笑える論文、ほほえましい論文にしたいと思っているけど、無理かな…。

健啖家

 翻訳の仕事の関係であるお医者さんに会った。おそらく70歳くらい。1963年には東独、1968年には中国にいたという。運動家で、文句があれば誰に対してでもすぐに言う。しかし同時にとても優しい心をもった方だった。共産党員だったが、「党にも文句を言ったから結局は追い出された」とのこと。自分で自分を笑うことのできる楽しいひとだった。

 打合せが終わり、昼食を食べに行くと、まず歩くのが早い。動きに無駄がなく、俊敏で、背筋が伸びている。機を見て横断歩道のない大きな車道を走って渡る。無駄がない。そして食べる。次々に食べ、たくさん食べる。健啖家だ。さらに話す。いろいろなことをよく記憶していて、非常に非常に話す。ごく当たり前のことのようにおおいに食べ、おおいに話すので、ご一緒してとても愉快だった。ぜひまた会いたい。

2011年3月1日火曜日

「内なる声」

 3月になったということで、ブログも徐々に再開。

 村上春樹のインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を毎晩少しずつ読んでいる。
 
 走ることに関する発言が興味深い。

僕が学んだのは、どれくらいのものを自分に求めることができるか、いつ休息が必要なのか、休みすぎになる境目はどこか、といったことです。つまり、どれだけ厳しく、どこまで自分を追い込めるのかがわかったのです。 [423頁]

 村上春樹は自分で自分のコーチとなり、トレーニングを続ける。

 わたしはヴァルター・ベンヤミンが執筆中の著作をまるで独自の生命をもった植物のように注意深く扱っていたことを思い出す(野村修『ベンヤミンの生涯』)。

 「わたし」や「わたしのつくっている物」を自分から分離し、外部化し、対象化し、批評しながら変形させていくタイプの人びと。

 彼らは「わたし」を複数化する。批評する「わたし」と批評される「わたし」。つくる「わたし」とつくられる「わたしの物」。そのあいだに働く自己フィードバックシステム。それは「内なる声」の独自なシステムだ。

 「わたし」を外部化するからこそ、彼らの作業はプライベートなだけでなく同時にパブリックになっていく。「わたし」と付き合っているにもかかわらず、「わたし」の範囲を超えていく。

 忙しくなったり何かに心を支配されると「内なる声」は止んでしまう。「内なる声」をもち、内部のフィードバックシステムを洗練できることは、人間の特権の一つだと思う。プライベートにおいても大切だし、パブリックな物事にとっても不可欠だ。逆に言えば、人びとの「内なる声」が止まざるをえないような状態を、わたしは人権の保障されていない状態と呼びたい。

 そんなわけで、ひとにも役立つ内なる声にすべく、今後はもう少し頻繁にブログを更新する。

 インタビュー集のなかで村上春樹が、「ベテランランナーかどうかはすぐにわかる。走り始めたばかりのひとは呼吸が浅い。ベテランは深く息をする」という意味のことを言っていて、これは文章を書くことにもあてはまると思う。しかしともかくトレーニングを始めないことにはどうしようもない。