「考えることについて ひとつの逆説」(ハインリヒ・フォン・クライスト)
考えることの効用を、誰もが天高く褒め称える。とりわけ冷静に、長時間、行為の前に考えることを褒め称える。もしわたしがスペイン人なら、イタリア人なら、またフランス人なら、それもよかろう。しかしわたしはドイツ人だから、わたしはいつか自分の息子に、とりわけ彼が軍隊に入ろうとするようなことがあれば、以下の話をしようと考えている。
「考えることは、よく知っていてほしい、行為の前より行為の後が、時機としてはるかに適切だ。考えが決断以前に、もしくは決断の瞬間そのときに作用すると、考えは、すばらしい感情から湧き出る行動に必要な力を、混乱させ、妨げ、抑圧するだけらしい。反対に、行為がなされた後ならば、本来人間に与えられた目的のために考えを使うことができる。つまり、今回の方法はどこに欠陥があったのか、どこが脆弱だったのかを意識し、来るべき更なる事態に備えて感情を調整できるのだ。生はそれ自体、運命との闘争であり、行動も格闘と比較できる。格闘家が敵を捕まえる瞬間には、単なる瞬間的な直観にしか考慮を払わない。敵を倒すにはどの筋肉に負荷をかけどの間接を動かすべきかと計算するような者は、間違いなく敗北し、屈服する。しかし勝利した後か敗れた後ならば、どれくらいの力をかけることで敵を倒すことができたのか、あるいは立ったままでいるにはどう足を使うべきだったのかと考えることは、目的に適い、適切だ。この格闘家のように生を捕えることができない者、戦いのあらゆる展開に応じて、あらゆる抵抗、圧力、転調、反応に応じて、臨機応変に生を感覚し感受できない者は、何を望もうとも、どんな会話の中でも、自分の意志を押し通すことができないだろう。まして戦争で意志を押し通すことなどできないだろう。」
(1810年12月7日付「ベルリン夕刊」にて発表)
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