今日は具体的に進んだのでよかった。
さて、『ドゥルーズ 千の文学』という本がある。出版されたばかりで、初版2011年1月25日とある。アルトーやカフカ、ベケットをはじめとするドゥルーズが論じた文学者たちについて、専門家が短く紹介し、ドゥルーズとの関係をまとめている本だ。それがどうしたのかというと、ここに独立した項目として「クライスト」があり、そこで慶応大学教授の大宮勘一郎氏が、クライストにおける「『一般的』危機と『民主政』の関係」について短く触れているのである…。3日前、「クライスト研究においてはどうもまだ誰も触れてないようだが」と断ってクライストにおける「一般的」という語の問題を切り出したとき、わたしはまだこれを読んでいなかった。そして今日読んでたいへん驚いた。
それは、「これを論じる研究者がいたか」という驚きではない。実はこの大宮勘一郎氏は、わたしの修士時代までの恩師なのである。そうなんです…。しかし彼と最後にクライストの話をしたのはおそらくもう4〜5年前。わたしは学部の卒業論文をクライストの「チリの地震」について書いて提出した(2006年)ものの、修士論文ではイェリネク『雲。家。』を論じた(2008年)からだった。もちろん4〜5年前にクライストにおける「一般」ということを議論し合った記憶はない。それでも同じ時期に同じようなことを書いてしまうのだから、師弟関係というのは恐ろしいものだ…。個人的にはたいへん興味深いことだと思った。
演劇をやりますといって早稲田に移り、結局はクライストに戻ってきていることをわたしは大宮先生に報告しておらず、これ自体たいへん申し訳ない現状なのだが、次の論文を書いたら非礼を侘びにご挨拶に伺おうかと思う。それにはまず読んでびっくりしてもらえるような論文を書かなければならない。幸い、「演劇をやります」はまったくの嘘になってしまったわけではなく、むしろ「演劇」からクライストに近づくつもりだ。そのアプローチを彼はどう評価するだろうか。
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