2011年3月1日火曜日

「内なる声」

 3月になったということで、ブログも徐々に再開。

 村上春樹のインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を毎晩少しずつ読んでいる。
 
 走ることに関する発言が興味深い。

僕が学んだのは、どれくらいのものを自分に求めることができるか、いつ休息が必要なのか、休みすぎになる境目はどこか、といったことです。つまり、どれだけ厳しく、どこまで自分を追い込めるのかがわかったのです。 [423頁]

 村上春樹は自分で自分のコーチとなり、トレーニングを続ける。

 わたしはヴァルター・ベンヤミンが執筆中の著作をまるで独自の生命をもった植物のように注意深く扱っていたことを思い出す(野村修『ベンヤミンの生涯』)。

 「わたし」や「わたしのつくっている物」を自分から分離し、外部化し、対象化し、批評しながら変形させていくタイプの人びと。

 彼らは「わたし」を複数化する。批評する「わたし」と批評される「わたし」。つくる「わたし」とつくられる「わたしの物」。そのあいだに働く自己フィードバックシステム。それは「内なる声」の独自なシステムだ。

 「わたし」を外部化するからこそ、彼らの作業はプライベートなだけでなく同時にパブリックになっていく。「わたし」と付き合っているにもかかわらず、「わたし」の範囲を超えていく。

 忙しくなったり何かに心を支配されると「内なる声」は止んでしまう。「内なる声」をもち、内部のフィードバックシステムを洗練できることは、人間の特権の一つだと思う。プライベートにおいても大切だし、パブリックな物事にとっても不可欠だ。逆に言えば、人びとの「内なる声」が止まざるをえないような状態を、わたしは人権の保障されていない状態と呼びたい。

 そんなわけで、ひとにも役立つ内なる声にすべく、今後はもう少し頻繁にブログを更新する。

 インタビュー集のなかで村上春樹が、「ベテランランナーかどうかはすぐにわかる。走り始めたばかりのひとは呼吸が浅い。ベテランは深く息をする」という意味のことを言っていて、これは文章を書くことにもあてはまると思う。しかしともかくトレーニングを始めないことにはどうしようもない。

0 件のコメント:

コメントを投稿