2011年3月21日月曜日

「空気」の研究

 いま、山本七平『「空気」の研究』を再読しているひとは多いと思う。

 同書の中で山本さんは、ひと・もの・ことが絶対化されて「空気」と化していくメカニズムを分析した。具体的には「公害」という言葉や「御真影」というモノが物神化し空気支配を生み出した歴史が扱われている。

 昨日の続きだけど、「かっこいい言葉の使い方」も「空気」をつくるのではないかと思う。それに反論することが悪人/馬鹿/不道徳であるかのような「言い方」。「まともにものを考えるひとなら、こう思うに決まってるよね」みたいな「言い方」。かっこ悪い言葉の使い方をしよう、ということではない。ただ、他人がそこからさらに何か別のことをを考える「余地」が残っている言葉かどうか。寛容を装いながら実はたった一つの選択肢しか残さない言葉になっていないかどうか。それは気を付けたい。

 今後はますます、しっかりした意味を持ち、現実にひとを動かす言葉が重要な時代になると思う。でも「動かし方」にもいろいろある。ぼくはあいまいな「空気」にいつのまにか縛られるのは嫌です。

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