2011年3月30日水曜日

地震の直前

 3月11日の地震の2時間前、ぼくは以下のようなツイートをしたらしい。

ツイッターの声を可視化し、政治家に直接届け、それが無視できなくなる仕組みをつくる。今はまだ政治の動き→ツイッターの反応という一方通行。これを双方向化し、互いに応答しあう=責任を取り合うかたちをつくる。マスコミの権力も相対的に低減する。

 3週間前の自分に同意しても仕方ないが、これができたらいいとほんとに思う。ツイッターには現状についての批判だけでなく、これからの社会についての創造的なアイディアが出始めている。ぼくが読む限りでは、この説明なら誰でも納得するはずだ、と思うようなまともな意見がいくつもある。しかしもしこの機会に日本を変えることができなければ、これまで同様、なんだかよくわからないぐにゃぐにゃとしたプロセスを経て、いつのまにか電気料金が値上げされたり、石原慎太郎が再選されたりするのだろう。

 たった一日で日本の制度や精神性をひっくり返せると考えることも傲慢だろうが、それでも、「どうしたらいいのだろう」という思いは消えない。ただし、そう深刻ぶっても仕方ない。楽しく考え、楽しく動かなければ続かない。続かなければ変わらない。たしか高橋源一郎さんが以前ツイッターで、「楽しい政治」という文章を書いていた。そうなのだ。今こそ「楽しい政治」や「楽しい思想」が必要なのだ。政治なら「不謹慎」とは言われまい。思想は「自粛」を求められまい。今回を転機に、政治や思想を楽しく続ける、ほほえましい国にしたいものだ。

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