2010年10月8日金曜日

ドイツ語(2)

クライストのドイツ語と時間

 ハインリヒ・フォン・クライスト(1777-1811)のドイツ語では時間が奇妙に前後する。たとえば短編「チリの地震」の冒頭。以下は拙訳と原文である。

チリ王国の首都サンチャゴで、1647年に大地震がおきたとき、幾千の人間が死んだなか、ある罪に問われていたスペイン人の若者、ヘロニモ・ルヘラは、牢獄の柱のそばに立ち、収監されていたが、首を吊ろうとしていた。

In St. Jago, der Hauptstadt der Königreichs Chili, stand gerade in dem Augenblick der großen Erderschütterung vom Jahre 1647, bei welcher viele tausend Menschen ihren Untergang fanden, ein junger, auf ein Verbrechen angeklagter Spanier, Namens Jeronimo Rugera, an einem Pfeiler des Gefängnisses, in welches man ihn eingesperrt hatte, und wollte sich erhenken.
 
この文章では、最後に突然あらわれる「そこに収監されていたのだが」という部分だけがいわゆる過去完了形になっており、それ以外の部分より前に生じたことが示されている。しかしながら、牢獄の柱のそばに立っている者がそれ以前に収監されていたのは当然であるから、一見いかにも無駄な補足のように思われる。もう一例挙げたい。上記の文に続く冒頭第二文である。
 
ドン・エンリコ・アステロン、この町有数の富裕な貴族は、一年ほど前、彼を家から、家庭教師として雇っていたのを、追い出したのは、彼がドニャ・ホセファ、一人娘と、親密な関係になったからだった。

Don Henrico Asteron, einer der reichsten Edelleute der Stadt, hatte ihn ungefähr ein Jahr zuvor aus seinem Hause, wo er als Lehrer angestellt war, entfernt, weil er sich mit Donna Josepha, seiner einzigen Tochter, in einem zärtlichen Einverständnis befunden hatte.
 
ここでも、「貴族は彼を家庭教師として雇っていた。しかし追い出した。なぜなら…」と時系列で語るのではなく、「彼を家から、家庭教師として雇っていたのだが、追い出した」として、過去のことを語りながら、その途中で瞬間的に過去の習慣に遡り、再び戻ってくるのである。
 
 このようなクライストの表現は、雑音を聴かされ、異物につまずかされるようで、読む側になめらかな物語の進行を許さない。しかし重要なのは、ここでは言語が物語を表現するための道具とされているだけでなく、言語(散文)そのものに固有な時間表現が試されていることである。物理的な時空間と異なり、言語空間においては、まず過去があり、そこに突然さらなる過去を侵入させ、ふたたび暴力的に時間を引き戻すような操作も可能であり、ドイツ語の関係代名詞節はそうした表現との親和性が高い。言語には言語の秩序がある。クライストは言語や言語が可能にする時間を物語表現に従属させるのではなく、物語の秩序と言語の秩序をぶつけあいながら語るのである。

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