実際には、政治的かつ法的世界と経済的世界とは、18世紀からすでに、異質で両立不可能な二つの世界として現れます。経済的かつ法的な学という考えは厳密な意味において不可能であるということであり、それに実際、そうした学は決して構成されませんでした。
[…]
ここには、私が思うに重要な一つの契機があります。それはすなわち、政治経済学が統治理性批判として自らを提示することができるような契機です。[…]これより少し後の時代に、カントは、人間に対し、あなたには世界の全体性を認識することはできないのだ、と語ることになります。政治経済学はその数十年前に、主権者に対し、あなたもやはり経済プロセスの全体性を認識することはできないのだ、と語っていたのでした。経済に主権者はいないということ。経済的主権者はいないということ。私が思うに、これはやはり、もちろん経済思想の歴史において、しかしとりわけ統治理性の歴史において、非常に重要な地点のうちの一つです。
経済的主権者の不在ないし不可能性というこの問題こそ、結局、ヨーロッパ全体を通じて、そして近代世界全体を通じて、統治実践、経済問題、社会主義、計画課、厚生経済学によって提起されることになるものです。19世紀および20世紀のヨーロッパにおける自由主義思想と新自由主義思想のあらゆる回帰、あらゆる反復は、依然として、経済的主権者の存在の不可能性の問題を提起するためのある種のやり方なのです。そして逆に、計画化、統制経済、社会主義、国家社会主義として現れることになるもののすべてによって提起されるのは、政治経済学がその創設時からすでに経済的主権者に対してかけていた呪いを、そしてそれと同時に政治経済学の存在の条件そのものを、乗り越えることができないだろうか、という問題です。すなわち、それでもやはり経済的主権者を定義することのできるような地点がありうるのではなかろうか、と。
[…]
経済学は、その始まりからすでに――もしアダム・スミスの理論と自由主義理論を政治経済学の始まりと呼ぶのであれば――統治の合理性のようなものにとっての行いの指針ないし完全なプログラムであるべきものとして自らを提示することは決してありませんでした。政治経済学は確かに、一つの学、一つのタイプの知、統治を行う人々が考慮に入れるべき認識の一つの様態です。しかし、経済学は統治の学ではありえないし、統治は経済学を、自らの原理、法、行いの規則、内的合理性とすることはできません。経済学は、統治術に対して側面的な学です。経済学によって統治しなければならず、経済学者たちのすぐそばで統治しなければならず、経済学者たちに耳を傾けながら統治しなければならないとはいえ、しかし、経済学が統治の合理性そのものとなるなどということは、あってはならないこと、問題外のこと、不可能なことなのです。
(ミシェル・フーコー『生政治の誕生』、慎改康之訳、筑摩書房、2008年、348-352頁)
「経済的主権者」の可能性と不可能性を巡って、自由主義と社会主義、自由放任と計画経済が争ってきたという構図は、たとえもはやそこまで図式的には考えられないとしても、世界の現状と今後を考えるための出発点を与えてくれるように思う。
経済とは、主権者なき「わたしの経済」の集合なのか、あるいは主権者としての「わたしたちの経済」が可能なのか、もしくはさらに別の主権者が経済のありかたを決定するのか。経済の秩序、経済の時間は、今後誰によって、どのように組織されるのか。
経済学が統治の学ではありえないとしても、国民国家の経済活動が「政治的なもの」である状況はまだ続くだろう。そのとき各国の「経済的主権者」のありようと、戦争の継続としての政治は、どのような関係をつくるのか。
しかしそれらは、いずれにしても個々人の生活レベルから考えねばならないだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿