2010年10月17日日曜日

ドイツ文学史(3)

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ハインリヒ・フォン・クライスト
(Heinrich von Kleist, 1777. 10. 18. – 1811. 11. 21.)

 ベルリンの東、現在のポーランド国境近くの町フランクフルト・アン・デア・オーデルの軍人の家系に生まれる。

 年少にして父母を失う。15歳で軍隊に入り、22歳まで7年間を過ごす。

 その後退役し、故郷の大学で数学、論理学、物理学を学ぶ。

 1800年、ヴュルツブルク旅行。官職に就くことを考えるが、結局は自ら放棄。

 1801年、パリ旅行、スイス滞在。

 1802年、創作を始める。ワイマール滞在。
 
 1803年、ライプツィヒ、スイス、パリに滞在。パリでは自殺目的で、フランス軍のイギリス征討隊に参加。

 1804年、ベルリンで官職に就くが、1806年体調不良を理由に退く。創作活動はこの頃から活発になる。

 1807年、スパイ容疑でフランス軍に捕えられ、フランスの監獄で約半年を過ごす。

 釈放され、1807年8月からドレスデン滞在。アダム・ミュラーと芸術雑誌「フェーブス」を出版するが、財政難に陥る。

 1809年、オーストリアの対ナポレオン開戦に賛同、政治的文章を著し、愛国雑誌「ゲルマーニア」刊行を試みるも失敗、ベルリンに戻る。

 1810年10月、「ベルリン夕刊新聞」を発行、大衆向け日刊紙の先駆けとなるが、1811年3月廃刊。創作活動は続けたものの経済的に行き詰まる。

 1811年11月21日、癌を患っていた人妻ヘンリエッテ・フォーゲルとヴァンゼー湖畔でピストル心中を遂げる。

 今日ではドイツを代表する劇作家と呼ばれるが、軍人、官僚、劇作家、小説家、政治活動家、ジャーナリストとして活動した34年は、一つの都市にも一つの職にもとどまらない、絶えず移り変わる人生だった。

 代表作:『こわれがめ』(1805年)『ペンテジレーア』(1807年)「ミヒャエル・コールハース」(1810年)等

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