木庭顕『デモクラシーの古典的基礎』(東京大学出版会、2003年)
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〈二重分節〉の社会構造を基礎として政治システムの再構築が完了したときに、しかしそれを根底から批判する概念体系が同時に社会構造として定着しなければ〈二重分節〉とデモクラシーは存続し得ない、政治そのものでさえそうではあるがそれよりはもっと精緻な態様でこの批判が内蔵されなければならない、ということを完璧に見透した、そしてほとんど意識の底に埋め込んだ、のは他ならぬSophoklesである。むろん批判の拠点はAischylosが用意したものの延長線上にある。Homerosを批判したKlytaimestraのIphigeneiaパラデイクマを批判し返すOrestesの立場である。しかしAischylosにおいては逆にOrestesの方こそ自らの狂気で贖わなければならない問題を抱え、そしてこれを克服していく。こちらの側にAischylosの関心が存した。ところがSophoklesは今やOrestesに、Klytaimestraの二重構造のequivocalな点を攻撃させるよりも、これを解消する使命を負った新しい連帯それ自体を深く省察させる。かくしてわれわれは、AischylosからこのSophoklesに渡された対抗緊張関係の太い梁がつくる構造物こそが、政治がデモクラシーへ移行することに伴う混迷と崩壊に大きく立ち塞がる堡塁となる、という基本的な了解のもとに最もよくSophoklesのテクストを解釈しうる。大きくPindarosに対抗し、切り返すようにむしろHomerosに再接近する。[255頁]
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Sophoklesは442年の“Antigone”においてデモクラシーを根本から支える屈折体に完成された形態を与えるに至る。政治が創り出して久しい透明な空間にこの作品は観念構造の磁場を敷き詰める。創り出す社会構造はほとんど自足的にデモクラシーを基礎付けるようにさえ見える。とはいえもちろん実は多くの屈折体の積み重なりと対抗によって初めてその磁場も凡そ概念されうるのである。
[…]専制と自由、政治的決定と神々の正義、実体法と自然法、ポリスと家・親族、といった図式によって簡単に作品を説明できるという錯覚を与えるに十分である。
しかしKreonという人物を取ってみるだけでこれらの理解はしばしば全く的外れであることがわかる。登場するや否や彼は自分の政治信条を明確に語る(162ff.)。LaiosとOidipusの真っ直ぐな公正さを強く意識して、傍系ながら新たに権力の座に就いた彼はその実績で懐疑を払拭しなければならない。ジェネアロジクな関係を峻拒して祖国の救済を純粋に追求し、これに反する行為をする敵に対しては妥協の無い態度を取る、と言うのである。埋葬禁止はそのコロラリーであるということになる。しかし、このように政治の論理を徹底的に一貫させる、ように見えながら、実は彼はデモクラシーへの変化に押されて権力の座に就いたのではないか。早くも彼の言辞は少々ちぐはぐである。「ジェネアロジクな関係の前に政治を曲げる」(180)ということと「ジェネアロジクな関係故に敵と雖も埋葬する」ということは同義であろうか。埋葬禁止は公共的空間の簒奪を排除する警察的規制(161, 192)によるが、敵の埋葬はこれに本当に該当するか、その論証は十分か、敵の概念がむしろジェネアロジクなものになってしまっていて密かにジェネアロジクな憎悪を抱くからこそ埋葬まで禁ずるのではないか。Kreonの語彙は父―祖国(182, 199)と友と敵(187, 212)という種類に尽くされる。政治の語彙であるように見えて部族的観念をたっぷり呑み干したデモクラシー期特有の混乱である。[276−277頁]
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Antigoneを動かす真の動機が最も鮮明に現れるのは512ff.のやりとりにおいてである。Kreonは鋭く、(自分の命令が兄弟の関係を侵害し神の正義に反すると言うのならば)Polyneikesはお前の兄弟であるEteoklesを殺した者である、その者に栄誉を与えればそれこそ神の正義に反するではないか、と斬りつける。Antigoneは「死者はそのように証言するだろうか」と答え死者を連帯の中に引っ張り込む(515)。「死者」とは両兄弟を共通に指す。Kreonは敵味方両方に平等に栄誉を与えるのかと苛立ち(516)、自分からAntigoneの核心のトポスに迷い込む。屈折体はかくして領域に降りる。兄弟は奴隷でない(517)というAntigoneの反論にKreonはこの地を蹂躙したではないかと返し(518)、部族的観念と空洞化した政治の論理を短絡させる例の軸の上を大慌てで滑り降りてくる。Antigoneの張った網は完璧に機能し、地下では等しく同一の規範が妥当する(519)という命題が鮮やかに命中することになる。Kreonの「敵は死んでも味方ではない」(522)に対してさらにとどめの一撃「互いに敵対するためでなく共に愛するために生まれてきた」(523)が突き刺さる。EteoklesとPolyneikesの間に全てを越える橋を架けるということは、決して「自然の」感情や「血」のなせる業ではない。これは〈神話〉的パラデイクマであり、その対抗を支える屈折体は極めて普遍的な連帯を指示している。450ff.の政治的決定に優位する規範の概念も、したがって、凡そ自生的な組織原理や超越的な倫理規範一般を指示しているのではなく、極めて特定的な内容の連帯の普遍性を指示しているのである。
[…]
もしこれが子や夫であれば市民の強制力に(907)立ち向かう労苦など取りはしない。夫の死後また別の夫を得て、また別の子を得ることもできる。これに反して既に死んだ父母からの兄弟の関係は唯一である。もう決して兄弟が生まれて来ることはない。だからこそPolyneikesに自分が連帯しなければ誰が連帯するのか、というのである。交換不可能であること、唯一であること、こそが却って連帯を要請する、ということになれば、échangeと不可分の部族的結合関係(「祖国」)を全てとするKreonの立場は全く無くなる。[…]HaimonにとってAntigoneは交換不可能であるからHaimonは運命を共にするであろう。Haimonの母にとってHaimonは交換不可能であるから彼女も後を追うであろう。Kreonが結局息子と妻を一時に失うのは論理的な帰結である。Teiresiasの予言におそれをなして遂に折れることになっても手遅れとなる。Polyneikesへの固執はagnatiqueな関係の優先では決してない。そういう対抗関係は働いていない。政治的決定と血縁という対抗関係も全く働いていない。AntigoneとHaimonの明晰な論拠付けがこれを否定している。Kreonの思考の自己矛盾と錯綜がこれを裏書きしている。[281−284頁]
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〈二重分節〉システムにおいてはわれわれは全て挙句の果てOidipousのように放浪する、というのである。このことで例解しうる意味連関に立つ、というのである。これを可能にするのはディアレクティカの高度な堆積のみである。事実Oidipousは、ディアレクティカが一つの極点にまで達した、原始の如きものまであぶり出した、地点に立つ。そしてAischylos以来追求されて来た新しい連帯はこれを基礎としてのみ可能である。これがSophoklesの到達した見透しである。[304頁]
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いわば第一〈分節〉と第二〈分節〉の個別的排他的対応を拒否したOidipousはかくして〈二重分節〉単位の独立を宣言したことになる。しかしそれはAthenaiが割って入ったことによって実現したのであり、するとOidipousはAthenaiに帰属するのではないか、という疑念が生ずる。Oidipousはしきりに自分を保護することがAthenaiを救うと暗示する。否、むしろTheseusを見るや否や、自分の身体或いは屍(621)を贈与する、これがAthenaiの利得となるであろう、と明言する(576ff.)。しかし何故かということを慎重にも明かさない(624ff.)。それを知らずにTheseusがOidipousを保護することが求められているかの如くである。Theseusはもとよりそのつもりである。
Oidipousは死の予兆が訪れると直ちにTheseusを呼び寄せる(1457ff.)。OidipousはTheseusに秘訣を授ける(1518ff.)。死の瞬間に二人だけで秘密の場所に行ってそこにOidipousが埋葬されるようにする、Theseusはその場所を決して誰にも明かさず、ただ後継者にだけ伝えていく、というのである。確かに、これによりAthenaiは絶対に奪われない形で持つことができる。がしかしそれは、Oidipousがただ単に誰のものでもないのでなく、誰のものでもありえないようになったことに基づくのである。こうして少なくともThebaiは決してAthenaiを侵略しえないのである。戦争、そして或る種の政治、は全て理論的にはOidipousの奪い合いである。が〈二重分節〉単位をそもそも奪えないように聖域化する、先験的なものにする、デモクラシーを完成する、ことによって初めてそうしたメカニズムに終止符を打つことができるのである。デモクラシーが連帯であるとすれば、その連隊はこれのためのものでなければいつか虚偽のものとなる、というのが死にゆくSophoklesが死にゆくOidipousに託した結論である。[321−322頁]
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頂点を構成すれば下位の〈分節〉系が成り立たない――これが問題である。実は〈二重分節〉の概念自体この問題を強く意識している。第一に、上位の頂点となるか下位の構成員となるかが決定されているときにのみ、この問題は生ずる。ならば、上位の頂点と下位の構成員が不断に循環し交替すればよい。確かに頂点は一義的に構成される。しかし下位の構成員はこれに服するという関係に立つのではない。否、頂点が下位の構成員に服するのであるかもしれない。第二に、各単位が時々に入れ替わって下位に立つとき、特定の〈分節〉頂点との間に排他的交換関係を持つのではなく、それを取り替えたり、同時に多重的に関係を設定しうる。第三に、下位の〈分節〉単位間には、上位の〈分節〉体系と無関係に、自由で無差別的・解放的な〈分節〉体系が複数形成される。この〈分節〉体系はしかも上位の〈分節〉体系と闊達に連動しつつこれから自由である。言わば、〈分節〉の二つの審級の間にまた一つ〈分節〉的関係(自由)が達成される。以上のようなときに〈二重分節〉があると言うことができる。
諸々のテクストは、まるで〈二重分節〉という道具概念を既に備えているかのように、循環、交替、二つの次元間の〈分節〉的関係、といった事柄に極めて意識的で敏感であった。
しかし何故これらのテクストは読み手にこうしたことを考えさせる独特の屈折を示すのか。〈二重分節〉に一体何の意義があるのか。
これを最もよく知るであろう人物はHesiodosであろう。領域の人員は、その領域に属する限り、相互に自由である。都市の貴族達に対しては、その領域の組織に結集して団結して自由を守る。しかしこの領域の組織を離れてもなお自由でどうしてありえないのだろうか。自分達相互の間で自由であるばかりか、自分達自身からどうして自由でありえないか。全ての装置をかなぐりすてればよいというのではない。むしろ既存の装置を巧みに二重に組み合わせることによってのみ、つまり同時に二重に自由であることによってのみ、初めて、自由達成の道具である〈分節〉システム即ち政治システムからもさらに自由であることが可能になるのではないか。
もっとも、そればかりではない。以上のような二面的な関係は、〈二重分節〉システムにおいてはあらゆる場面で形成される。つまりは、〈二重分節〉は、〈分節〉と同様に、特定の目的や理念に奉仕するものではなく、一層複雑で多様で独創的な思考を可能にする、様々な事柄の一層多重的な保障をもたらしうるようになる、ということである。二重の自由はその可能性の一つにすぎない。
つまり、〈二重分節〉によって開かれた可能性の総体というものが、われわれの視野に重要なものとして入って来ざるをえない。われわれはデモクラシーの基礎をこういうものとして再定義できるのではないか。[409−410頁]
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Areopagosが廃止された形跡は無く、起訴陪審にも手が付けられた様子が無い、基礎となる民会の構成が変わったにせよ政務官制度にも変更が無い、にもかかわらずbouleのみがほとんど初めて創設され、これがデモクラシー元年を画す。初めて裁判と区別される最狭義の政治的決定に関与する合議体が、直接demosを基礎として形をなしたのである。民会の存在や役割そのものでなく、いわば民会のパートがこうして二つに分節し狭義の民会に対抗する機関が現れ二重になること、これがデモクラシーの登場を告げるということである。[835頁]
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そもそも裁判の基本パラデイクマは、政治システムの破壊に対して、厳密にそれのみに対して、政治システムが政治システムたることを一切やめずに対処修復するというものであった。弾劾主義はこのことの厳密なコロラリーである。[847頁]
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デモクラシーの概念の全体像を再確認するとき、極めて印象的であるのは、パラデイクマのparadigmatiqueな分節の高度な発達である。政治は既にこのことを含意するが、デモクラシーになるとその分節は分厚くなり、パラデイクマのparadigmatiqueな作用そのものが解体されるかの如くでさえある。まず、人々の意識について二重に反省する営みが体系的に展開される。それが厳密に制度化され、社会の構成員の全体を深く捉える。反省はもとより処方箋追求の対極である。次に、二重のディアレクティカが高度に発達する。syntagmatismeはパラデイクマのparadigmatiqueな分節を極大化するための最も特徴的な手段である。さらに、言うまでもないが、これを通じてパラデイクマのヴァージョン対抗は常に極大化される。但し截然と二重に。
この結果、医学や倫理学のように「処方箋」に辿り着く場合にも、そのパラデイクマは独特の波長を帯びるようになる。何よりも、こうした「第一線の」パラデイクマの外側に凡そ直接の帰結を截然と拒否するパラデイクマが膨大に(十重二十重に)発達する。これがデモクラシーのさしあたりの条件である。これは、もしデモクラシーを持ちたいのならばまずは直接デモクラシーを実現し(演じ)ようとするな、最大限に迂回せよ、ということを意味する。政治およびデモクラシーを根幹で支えるディアレクティカからさえ時に退避しなければならない。ディアレクティカはやはり政治的パラデイクマ本体に結びついているからである。デモクラシーはこの忍耐力(patience)にかかっているということになる。[885頁]
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複雑で粘り強い思考を要求される中でも最大の難関はディアクロニーである。ところがおそらくデモクラシーにとって最も重要なのはディアクロニクな感覚である。デモクラシーが常に二つの層の積み重なり、つまり同時に鳴り響く二つの意味、を必要とする以上当然である。たとえば、〈二重分節〉は領域のéchangeを大規模に掘り起こすことになる。これは一見枝分節に固有のéchangeと区別が付かない。後者は政治にとって危険であり、政治の側からの拒否を帰結しやすい。しかもこれはまたディアクロニクに古い層を有し、枝分節組織の両義性に関連している。するとデモクラシーの側は二重三重に政治を敵に回してéchange擁護に傾く。しかもそうすればそうするほど、デモクラシーに固有のéchangeから遠ざかり単なる枝分節のéchangeにのめり込むことになる。つまり混乱に拍車がかかっていく。
これを避けるためには厳密なディアクロニーを以てする以外にないが、この場合、その鍵を握るのが〈二重分節〉の概念である。もっともそれだけでは不十分であり、社会構造に委ねるだけでなく、ディアクロニクに新しいéchangeを支える様々な補強的第二次的政治システムが要請される。ギリシャはこの方向では第二の政治システムを発達させることなく、むしろローマに範を取った制度にヨリ大きな可能性があるが、いずれにせよこれこそが近代の課題であり、また不十分ながらわれわれは様々な手段を有している。逆に、社会構造を構築する部分はその分弱いかもしれない。[886頁]
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