アリストパネース『鳥』(久保田忠利訳、ギリシア喜劇全集 2、岩波書店、2008年)
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ペイセタイロスはこの新しいポリスをネペロコッキューギアーと命名する。これはネペレー(雲あるいはかすみ網の意)とコッキュークス(カッコウ、同時に愚か者の意)からなる。雲の中のカッコウであり、かすみ網にかかったカッコウであり、かすみ網にかかった愚か者である。[…]つまりは、ファンタジーから誕生し、言葉としてのみ存在し、現実には存在しないものということであろう。[379頁]
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ペイセタイロスが翼を生やし鳥となり、花嫁となるゼウスの娘をともない、権力のシンボル雷電を手に持ち登場するとき、個人の最大の欲望――ゼウスの支配権を奪う――が実現し、主人公の勝利は独裁者になることを意味する。それはアテーナイ市民のトラウマとなった恐怖の対象であるけれども、この究極のファンタジーの中に登場する翼のあるテュランノスは現実から最も遠ざかっており、『アカルナイの人々』や『平和』のフィナーレと同様、伝統的な喜劇の祝宴のイメージと融合して終わるのであろう。詩人がファンタジーとともに提示するヴィジョンは、笑いを喚起する現実と融合し、その笑いの異化効果を絶えず受けながら上昇と下降を繰り返し、ダイナミックに展開するのである。アリストパネースには絶望も諦念も許されていないように見える。作品から浮かび上がるのはひたすら現実を冷徹に観察し、それを笑いに転化するアイディアを生み出すことを使命とする詩人の姿であろう。[386−387頁]
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