2010年10月30日土曜日

翻訳論(5)

[翻訳論(1)(2)(3)(4)

 わたしにとって翻訳論が重要なのは、翻訳しながら感じている感覚を言語化して、そこから翻訳の実践をさらに先に進めることができるからです。翻訳論を読んだり、翻訳論として考えているときに何か新しいことを発見するというよりも、翻訳の実践がまず先にあります。

 だから、翻訳論を論じているだけで「先」へと進むことはできないようです。現時点での自分の翻訳論のへりまで来たことを確認したうえで、今後はまた飽くまで翻訳の「現場」を経験するしかなさそうです。

 「シンタックス=場所確定=秩序=時間」という観点から翻訳を考察できたことは、これまでありませんでした。ミュラー、シュミット、ベンヤミンらの議論を手掛かりにしたわけですが、なによりも進行中の「チリの地震」の翻訳作業が大きく影響しています。

 「チリの地震」の翻訳は11月で終わります。そのあと何を翻訳するか、何を翻訳することで翻訳論も深化させられるか。現場と理論を往復しながら、引き続き考えていきたいと思います。

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