2010年9月21日火曜日

「我が体険記」(3)

上村義雄「我が体険記 トンネル工事のみ他」(3)

 店先に菓子が出始めた食べたくて食べたくて皆が食べた 東京と云ふ所は便で良すぎて働くには良いところでは無い 残すには山の中とか不便な所が良いと思ふ様になつた

其の次に名古屋の駅前郵便局工事へも行つたが親方が悪くてぴんはねが多くて飯代が高くてとても残らないので早目に引上げた

その後和平の手引で笹島建設湯河原作業所へ行つたのが笹島との付合のはじまりでした 35年秋から38年迄 そこが終つて現場関係者は全部香港へ行つてしまい仕事が無く清水トンネルの現場へ菅畑の斉藤良一君をたよつて行つた 41

一年で又笹島が日本へ来て九頭龍川の電発工事へぜひと言われて福井県へ秋と春 42年から 雪が深くて冬は仕事がストツプして 靜岡の日本坂工事東海道有料高速道路へ三年行つた最後の仕上工事もした

其の頃俺があんまり眞目目にやるので
上役の西川さんが気に入らずとなりの室で
酒を呑んでくだくだ云ふのでけんかしない内に止めた方良いと重役に話して俺が止める
つもりが重役が西川は翌日六甲現場へ飛ばしてしまつたけれど先ぱいなので俺が身を引いた方が良いと翌年は大坂の方の世話で 七八名で大坂東ゴムへ行つて働いた

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