2010年9月28日火曜日

「我が体険記」(4)

上村義雄「我が体険記 トンネル工事のみ他」(4)

43年 其の年家を作り八月十三日に移つた翌日
笹島重役松田一郎氏が来てお前は他へやらないとにかく笹島へ来てくれ金は出すからと
云つて恵那山トンネル園原作業所へ十人連れて行つた。其れが運のつき始め其の始めて
金が家の借金をかえしても残る様になつた

高速トンネルを一冬に二も十人で完了したのには我乍らおどろいた 其れで重役にすつかり気に入られて上村にまかしておけば大丈夫と云われに様になつた。同じトンネルでも其后は割とうまく行かなかつたが社長も其の頃から上村上村と言つてくれる様になつた

其の工事が完了してからは横浜や東京と
移動して中山作業所へ行つてが新潟の上村と
言われて一作業所に七年始め大分金も取らしてもらつた。其の后青海の親知らず現場で福作業長として北陸高速の工事をさせてもらつて六十才になるのでいんたいさせて
もらふと宣言した

夏は森林組合の仕事を請負つて高名沢道院
方面の仕事をさせてもらつて冬は除雪隊にも仲間入りして働かせてもらつた
  約三年位冬も働いた

自分なりに良く体が續いたと思つて居る

此の約三十年間体が持つたと我乍ら思ふ

(了)

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