(DVD「和解せず」解説リーフレット抜粋)
以下は1984年2月21日のベルリン映画祭コンペでの映画『階級関係』上映後の記者会見の一部である。原作となったカフカの小説『失踪者』では、主人公が平手打ちを受ける記述が出てくるが、客席から実際に平手打ちを受ける映像が見たかったという意見に対して、ストローブは怒りを込めて反論した。
「もし映画作りでそこまでやってしまったら、つまり本当に平手打ちをしたなら、それが行きつく先はあのフランシス・コッポラという小悪党がヴェトナムについて作った映画みたいなものだ。この若者はヴェトナムについての映画を撮るために、フィリピンのどこかの場所へと出向いた。そこで彼は何をしたか? よく聞いているかね? 彼はナパーム弾で森を焼いたのだ。どうだね。…一本の映画には森一つの価値はない。つまり映画を撮るなら、カメラの前では森を焼かず人を本当には平手打ちせぬことだ。それはあり得ないことだ。同じく拷問を撮ることはできないし、撮ってはならない。シュピーゲル誌やパリ・マッチ誌には拷問写真が毎日載っているがね。そうではなく…、ジャン・ルーシュはある時ライオン狩りの映画を撮った。その時ライオンが襲ってきて、撮影に関わっていた者が負傷した。彼はそこで撮影を中止した。なぜならば、ライオンに襲われている人がいるときには撮影するものではないからだ。トラ狩りでもいいのだが。その時にはライオンを落ち着かせて遠ざけ、傷を負った者の介抱をしなくてはならない。その場で撮影などできない。そこが違いなのだ。」
2.
ストローブ=ユイレは嫌悪するものと「和解」しない。しかし相手と同じ方法、同じ身振りで攻撃することもない。なぜならそれもまた一種の「和解」であり、そしてむしろその水準における「和解」こそ、なによりも嫌悪すべきことだからである。
「和解せず Nicht versöhnt」。「和解 Versöhnung」とは「息子 Sohn」になることである。ストローブ=ユイレは嫌悪すべき対象の息子になることを拒否する。遺伝子を引き継ぐことを拒否し、環境によって同じように育てられることを拒否する。
3.
写真:蓮沼昌宏 |
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