2008年11月、母方の祖父が倒れた時、医者は手術をすればあと半年から1年はもつと言ったそうです。意識が戻るかどうかは保証できないが、とつけくわえたとのことですが。
祖母の判断で、祖父はそのまま死にました。2008年11月18日火曜日の午前中です。
この祖母は若いころ、東京・北千住に家族で住んでいました。1945年3月9日金曜日に新潟に戻ってきたため、10日土曜日の大空襲をまぬがれました。1923年生まれの彼女がいうには、空襲というのは「花火よりもずっときれい、本当にきれい」なものだったそうです。新潟県栃尾市で終戦を迎えたとき、玉音放送は「言葉が悪くて」ほとんど意味がわからなかったそうです。
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