母方の祖父・上村義雄(1927-2008)は、よく金の話をした。
「村長が月に68円もらったころ、俺は14歳で月に60円稼いだ」とか、「昭和40年頃は銀行に100万預けておくと一年で110万にも120万にもなった」とか、「平成12年のお寺の改修のときは俺も100万寄付した」といったように、(わたしの記憶は曖昧だが)いつも正確な日付と金額を口にした。
金の話をすることは、つねに「はしたないこと」だったのだろうか。金が、メディアとして、あるひとの生を、シンプルに、からっと物語ることも、あるのではないか。自慢にもならず、湿度の高い欲望も示唆せず、善でも悪でもないありかたを示すことも、あるのではなかろうか。彼は自然に、しかし堂々と、金の話をした。
一方で、商店を営むわたしの実家には、つねにほかの家よりも多くの現金があり、わたしも日々たくさんの硬貨や一万円札の束を目にしていたが、商店主であった父方の祖父・林幸一(1921-2004)は、わたしの前では決して金の話をしなかった。
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