郷里の風習で、火葬の日まで死者には寝ずの番がつき、夜明けまでろうそくの火を絶やしません。
2008年11月に母方の祖父が亡くなったとき、わたしも一夜、なきがらの枕もとに座りました。死体の冷たさというのはたいへん独特なものですね。死んだ祖父のひたいや、ほおや、ひげの残ったあごをさわると、「これもいいな」と自然に思われるのでした。
妙な音がすると思ったら、祖母のいびきでした。わたしの目の前には死んだ祖父が横たわり、右では祖母が生きて眠っていたのです。その小さなからだをどう使ったらそんな音がでるのかと思うほど、祖母はごうごうといびきを立てはじめました。
わたしは、60年連れ添うとはこういうことか、と思いました。「失意」とか「悲嘆」とか「哀惜」とか、そんなものとは無縁に、となりで夫が死んでいるのにいびきを立ててぐっすり眠る。そこにはなんとなく真実があるような気がしました。うすっぺらな「感情」ではなく、「生活」と「時間」が感じられました。巨大ないびきが、なにかを徹底的にぶち壊す音に聴こえました。
真夜中、祖母が急に目を覚まし、わたしたちは死んだ祖父の目の前で、夜が明けるまで死んだ祖父の話をしました。そしてたくさん笑いました。
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