2010年12月10日金曜日

時間科学(2)

1.エルンスト・マッハ『時間と空間』(1905−1923年、法政大学出版局)

ニュートンにとっては、時間と空間とは何かしら超物理学的なものであった。つまり、時間と空間とは直接的に到達できるものではなく、少なくとも厳密には規定できない、依属関係をもたない[独立の]原変数なのであって、それに従って全世界が方向づけられまた統御されるものなのである。空間が太陽を回る最も遠い惑星の運動をも律しているように、時間もまた最も遠い天体の運動と、ごく些細な地上の事象とを符合させているのである。このような理解を通じて、世界は一つの有機体となる。あるいはこういった表現を好むのならば、一つの機械となるのである。そこでは、一つの部分の運動にしたがってすべての部分が完全に調和しながら動いており、いわば一つの統一的な意志によって導かれている。ただわれわれには、この運動の目標が知らされていないだけである。 [144頁]

時間と空間とは、生理学的に連続体の外見を見せているにすぎず、ほぼ確実に、非連続的ではあるが厳密には区別しえないような要素から構成されているということ、これはここで更に強調されてしかるべきであろう。物理学における時間と空間に関して、連続性の仮定がどれ位堅持できるのかといったことは、単に合目的性および経験との合致の問題にすぎない。 [149頁]

マッハ哲学における「世界」は、ラプラスやヘルムホルツが想定したような、透明で一義的に決定された予測可能な世界ではない。それは「感性的諸要素」が相互に函数的に連関し合いながら、絶えず離散集合を繰り返すアモルフでアンビギュアスな世界であり、そこには「真に無条件の恒常性などというものは存在しない」のである。それゆえ、かかる「世界」にあっては、因果論的な世界了解はそもそも最初から意味をなさない。マッハによれば、いったいに「自然における連関は、或る与えられた場合に、一つの原因と一つの結果とを指摘できるほど単純なことは稀」なのであり、しかも因果論が用いる「原因」や「目的」といった概念は、「アニミズム的な表象に起源を」もっているのである。そこでマッハは「因果概念を数学的な函数概念で置きかえよう」と試みる。すなわち「現象相互間の依属関係、より精密に言えば現象の諸表徴相互間の依属関係で置きかえよう」とするのである。 [野家啓一による解説、210頁]

「(マッハにとっては)空間と時間といえども、それらを定義するのに、何ら特別の直観の形式は必要としない。それどころか、空間と時間は色、音、圧のような感覚的諸項を決して超越しない限定された内容だけに還元できるのである。」[…]右に引いたカッシーラーの指摘をまつまでもなく、マッハ自身「空間・時間感覚といえども、色、音、臭覚と同じような一つの感覚」であることを明言している。かかる感性的直観の空間をマッハは「生理学的空間」と名付け、それを数学や物理学に現れる「計測的空間」から明確に区別する。生理学的空間とは、具体的には「視空間」や「触空間」を指し、それは対象的実在性をもった原基的空間のことである。 [解説、220頁]


2.

 マッハは、ニュートンによる「超物理学的」な「ひとつの機械」としての空間・時間概念を批判し、空間と時間を、さまざまな感性的要素の具体的相互依存関係のあらわれ方として考えた。空間と時間を抽象化したままでおくのではなく、色、音、圧、匂いなどの個別の要素に還元し、そうした要素間の函数として経験をとらえたのである。その際、それらの「生理学的空間」が数学や物理学の場としての「計測適空間」から区別されたことが重要である。

 マッハは時間の連続性を「単に合目的性および経験との合致の問題にすぎない」とみなし、時間を本来的には非連続的なものと考えた。さまざまな要素が離散集合しながら世界を変容させ続けるその世界は、時間性よりも空間性を強く感じさせると言えるかもしれない。マッハは世界の複雑性を直視し、空間と時間の複数性を論じたことによって、アインシュタインらに大きな影響を与えたということである。

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