1.
古来コミュニティがもっていた機能が時代とともに外部化し社会化される傾向は不可避である。
したがって現代においては「意識的なコミュニティ」の再構築と支援が必要になる。「コミュニティ」はもはや自明なものではなく、その都度の必要に応じてつくられ、またつくりなおされる。
その人為性、構築性を支えるのは「個人」である。個人主義は20世紀までの哲学ではなく、21世紀以降の哲学なのだ。「意識的なコミュニティ」とそのネットワークを構築するのは一人一人の個人にほかならない。
2.広井良典『日本の社会保障』(岩波新書、1999年)
(21世紀に向けて)世界は「高齢化が高度に進み、人口や資源消費も均衡化するような、ある定常点に向かいつつあるし、またそうならなければ持続可能ではない」のである。[原文改行]私たちは、福祉国家の到達点としての高齢化社会というものの意味を、こうして環境問題も視野に収めながらグローバルなレベルで考えるべき時代にきているのである。 [178頁]
「前産業化社会」では、大家族をさらに包含する、いわば「凝集性」の高い強固な共同体が存在し、そのなかでの相互扶助が事実上“社会保障”としての機能を担っている。そして、次の「産業化社会」において、工業化・都市化の過程とともにブルーカラー、後にはホワイトカラーの労働者ないしサラリーマンが大量に発生するが、彼らは稼ぎ手である「夫」を中心とする核家族を形成する。社会保障制度(特に社会保険制度)は、[…]「共同体」から離脱していく層――「核家族」という新たな、しかし脆弱な“共同体”――を支援するシステムとして生成・展開した。この場合、「夫ないし男性が(核)家族の生計を支える」という姿が産業化社会の基本的なモデルであるから、社会保障制度の対象とする単位も「家族」ないし「世帯」が基本であり、妻や子は「被扶養者」という形で位置づけられるようになる。 [182頁]
一方、核家族ということはすなわち高齢者は別居しているということであるから、その「経済的扶養」が大きな問題となる。言い換えると、それまでは家族内(あるいは共同体内)で行われていた「老人の経済的扶養」が、ここに来て“外部化(・社会化)”されるに至るのであり、これに対応したのが「年金」という新しい社会的な制度であったわけである。ここでもまた、「共同体」のネットワークからはみ出ていく部分を支援する、というのが社会保障制度の機能となっている。 [182頁]
「成熟化(高齢化)社会」ではどうなるか。端的に言えば、さらなる「共同体/家族関係の外部化」が進むのがこの段階である。まず、女性の社会進出が進み、夫を中心とする家族という“共同体”の凝集性はさらに緩和していく。この結果、それまでは完全に家族内に収まっていた「子育て」が、外部化・社会化していくことになる。 [182−183頁]
他方、高齢者の平均余命が伸び、[…]「後期高齢者」の数が増加し、これに伴い高齢者介護問題が大きな課題として浮上する。それまではこうした問題はなお家族内で対応がなされていたが、高齢化の進展のなかでそれにも限界が生じ、これについても「外部化・社会化」が必要になってくる。つまり、老人の「経済的扶養」が年金制度によって社会化されたように、老人の「身体的扶養」もまた介護保障等の制度により、社会化されていくのである。 [183頁]
一方、産業化社会においては、核家族と並んで「企業(カイシャ)」もまたひとつの“共同体”として機能しており、様々な事業主負担に見られるように、社会保障制度における、「世帯」と並ぶ基本的な単位となっていった。しかしこうした企業も、成熟化社会においては、雇用の流動化や専門職化のなかで“共同体”としての凝集力を弱めていく。こうしてここでもまた「個人」が独立した存在として析出されていく(雇用の企業内保障から市場内保障へ)。 [183頁]
社会保障という制度は、経済の進化に伴って、(自然発生的な)共同体――家族を含む――が次々と解体、「外部化」していくことに対応して、それを新たなかたちで「社会化」していくシステムである。[…]社会保障とは、「自然発生的な共同体(コミュニティ)」の解体に対して、それに代わるいわば「意識的な共同体(コミュニティ)」を再構築ないし支援しようとする制度である、とでも言えるのではないだろうか。ただし、この後者の場合の「共同体(コミュニティ)」とは、もともとの「共同体(コミュニティ)」とは異なって、あくまで「個人」をベースとするネットワーキング、とでも言うような性格のものである。 [184頁]
「成熟化社会」における社会保障制度とはどのようなものであるべきか。[…]第一に、「市場」をベースとしつつ、それを補完/修正する制度として、第二に、「個人」を基本的な単位としつつ、個人と個人の自覚的なネットワーキングを支援する制度として構築されるべきであろう。これは今後の社会保障の設計にあたってのもっとも基本的な理念となるものである。 [186頁]
これから迎える新しい時代の特徴は何か。それは、[…]一言で言えば「定常型社会」というコンセプトで表される社会であろうと思われる。これは、一方において「高齢化社会」ということと関わり、他方では「環境問題」と深く結びついている。つまり、それは出生率が低下し高齢化が進んで人口がフラットの状態になった社会であり、また、環境や資源の有限性ということからも、定常化することが自ずと「要請」される社会でもある。[原文改行]こうした社会においては、もはや「成長」や「拡大」というコンセプトは人々にとっての指導理念や目標となりえない。[…]いまの日本においてもっとも重要なのは、現在世の中を賑わしているような「いかにして(これまでのような)〇〇%の成長を維持するか」という問いの立て方ではなくて、「いかにすれば定常型社会にソフト・ランディングしていくことができるのか」という問いではなかろうか。これには、制度や経済システムのみならず、より本質的には、「成長」や「効率」、「老い」や「時間」といった基本的な理念についての根底的な価値観の変更が必要になってくるだろう。 [209頁]
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