ハインリヒ・フォン・クライスト「人形劇について」(4)
「わたしはロシアへの旅の途中、リヴォニアの貴族フォン・G氏の所有地に滞在したのですが、彼の息子たちはちょうど当時、熱心にフェンシングの練習を積んでいました。特にそのころ大学から戻ったばかりの上の息子は名人で、ある朝わたしが彼の部屋にいたので、わたしに剣を差し出してきました。わたしたちはフェンシングをしました。ところがたまたま、わたしが彼にまさっていました。興奮したせいで彼はさらに混乱して、わたしの繰り出す突きはほとんどどれも命中し、彼の剣はついに部屋の隅に飛んでしまいました。半分は冗談めかして、もう半分は傷ついたように、剣を拾い上げながら彼は言いました、『わたしにはあなたという師が見つかりました。しかし世界のすべてはみずからの師をもちます。そこでこれからあなたをあなたの師のもとに導きましょう。』兄弟は大声で笑って言いました、『さあ! さあ! 小屋へ降りましょう!』こうして彼らはわたしの手をとり、わたしを一頭の熊のもとへと導きました。彼らの父親フォン・G氏が裏庭で育てさせた熊でした。」
「わたしが驚いたまま熊の前に歩み出たとき、熊は後ろ足で立っていました。つながれている柱に背中をもたせかけ、臨機応変に対応できるよう右手を上げ、わたしの目を見ました。それが熊のフェンシングの姿勢でした。わたしは自分がこのような敵と向かい合っているのを目にして、夢なのかどうかもわかりませんでした。しかし『突きなさい! 突きなさい!』とフォン・G氏が言いました、『一突きくらわせることができるかどうか、試してみなさい!』少し驚きから回復したので、わたしは剣を持って熊に向かって踏み込みました。熊はほんの少し手を動かしただけで突きをかわしました。わたしはフェイントで熊を誘いましたが、熊は動きません。わたしは瞬時の機敏さでまた踏み込みました。人間の胸であれば間違いなく命中したでしょう。熊はほんの少し手を動かしただけで突きをかわしました。今やわたしはほとんど若きフォン・G氏の場合と同じようになりました…。それに加えて熊の真剣さがわたしの正気を奪いました。突きとフェイントを交互に繰り返し、わたしは汗だくになりました。しかし無駄でした! たんに世界一のフェンシング選手のようにわたしの突きをすべてかわしただけでなく、熊は一度としてフェイントに反応しなかったのです(世界中のどんな選手も真似できないことです)。まるで目のなかにわたしの魂を読み取るかのように、目と目を合わせ、臨機応変に対応できるよう右手を上げたまま、わたしの突きが真剣な意図をもたなければ、熊は決して動きませんでした。」
「この話を信じられますか?」
「もちろんです!」とわたしは言って、喜んで喝采を与えた。「これほど本当らしい話は知らない人から聞いても信じるでしょう。ましてあなたから聞いたのですから!」
「さて、優れた友よ」とC氏は言った、「これであなたはわたしを理解するために必要なすべてを所有したことになります。有機的な世界においては、反省が冥ければ冥いほど、反省が弱ければ弱いほど、そこに含まれる優雅はますます輝き、ますます支配的にあらわれてくることをわたしたちは見ました。――しかしながら、ある二本の直線の交点が別の一点の片側にあっても、その二直線が無限を通過すれば、突然またその点の反対側にあらわれるように、あるいはまた、凸面鏡に映る像が、無限に遠ざかった結果として、突然またわたしたちのすぐ目の前にあらわれるように、認識がいわば無限を通過すれば優雅もまたあらわれます。したがって、意識をまったくもたないか、あるいは無限の意識をもつか、どちらかの人間身体において同時に、優雅はもっとも純粋なかたちで生じるのです。すなわち人形か、あるいは神において。」
「それでは」とわたしは少し考え込みながら言った、「わたしたちはもう一度認識の木の実を食べて、無垢の状態に落ち戻らなければならないのでしょうか?」
「そのとおりです」と彼は答えた、「それが世界史の最終章です。」
[終]
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