2010年12月19日日曜日

翻訳(3)

ハインリヒ・フォン・クライスト「人形劇について」(3)

 「P嬢を見てごらんなさい」と彼は続けた、「ダフネを演じる彼女がアポロに追われ、アポロの方を振り向くとき、魂が腰椎にきている。折れそうなほど体をねじって、ベルニーニ派の泉の精の彫刻のようです。若いF氏を見てごらんなさい。パリスを演じる彼が3人の女神のあいだに立ち、ヴィーナスに林檎を手渡すとき、魂はあろうことか(見るも恐ろしいことに)肘にきています。」

 「こうした失敗は」と彼は間を置いてからつけ加えた、「わたしたちが認識の木の実を食べて以来、避けられません。しかし楽園には閂がかかり、天使はわたしたちの背後にいます。わたしたちは世界をひとめぐりする旅をしなければなりません。そしてひょっとしたらどこか後ろがまた開いてないか、見てみなければならないのです。」

 わたしは笑ってしまった。――たしかに、とわたしは思った、精神はそれが存在しないところでは誤ることもありえない。しかし彼の心には言いたいことがさらにあるようだったので、わたしは先を続けるよう頼んだ。

 「それに加えて」と彼は言った、「人形には、反重力的という長所があります。あらゆる性質のうち最も舞踊に近しい性質、すなわち物質の慣性について、人形は何も知りません。なぜなら、人形を空中に上げる力は、人形を大地に縛りつける力よりも大きいからです。あのひとのよいG嬢、彼女は体重が60ポンド軽くなるなら、あるいは飛躍や急旋回の際にその重さに相当する助けを得られるなら、どんな犠牲も厭わないでしょう。人形たちが大地を必要とするのは、妖精のように、ただそこに触れ、一瞬静止して手足にあらたな弾みをつけるためにすぎません。わたしたちが大地を必要とするのは、その上に安らうためです。舞踊の疲労を癒すためです。それは明らかに舞踊でない瞬間、それをできるだけ消そうとする以外にどうしようもない瞬間です。」

 わたしは言った、「あなたの主張する複数のパラドックスの問題を、あなたはとても巧みに扱われていますが、しかしわたしは依然として、機械仕掛けの人形のなかに人間の身体構造よりも多くの優美さが含まれているとは信じられません。」

 彼は答えた、「優美ということに関して、人間は人形に追いつくことさえできません。この領域では、神のような者だけが物質と比肩しうるのです。そしてここがまさに、円環状をなす世界の両端が互いに手を伸ばしあう点なのです。」

 わたしはますます驚いて、こうした奇妙な主張に対して何と言えばよいのかわからなかった。

 「どうやら」と彼はひとつまみの煙草をとりながら言った、「あなたはモーゼの第一書第三章を注意深く読んでないらしい。あらゆる人間形成の最初の時期を知らない人とは、そのあとに続く時期についても、まして最後の時期についても、適切な会話はできません。」

 わたしは言った、「意識というものが人間の自然な優雅さにいかなる不秩序を引き起こすか、わたしも知っています。わたしの知人のある青年は、たった一言がきっかけで、いわばわたしの目の前で無垢を失い、その後は考えうる限りの努力をしても、二度とふたたびその楽園を見つけ出せませんでした。――ただ」とわたしは付け加えて言った、「そこからどのような結論が引き出せるのでしょうか?」

 彼はわたしに尋ねた、「あなたがおっしゃるのはどのような出来事だったのですか?」

 「わたしは水浴びをしていました」とわたしは語った、「三年ほど前、ある青年と一緒に。当時、彼の外見にはすばらしい優美が拡がっていました。16歳くらいだったでしょう、女性たちの好意を受け、虚栄心の最初の痕跡が遠くからでも認められました。たまたま、わたしたちはちょうどその直前、パリで例の足の刺を抜く少年像を見ていました。この像の複製は有名で、ほとんどのドイツの美術館にあります。青年は、片足を椅子の上にのせて乾かそうとした瞬間、大きな鏡に視線を投げると、その少年像のことを思い出したのです。彼は微笑み、自分の発見をわたしに教えました。実際、わたしもまさにその瞬間、まったく同じことを思い出していました。しかし、彼に備わる優雅さの確実性を試すためだったのか、彼の虚栄心を少し癒すつもりだったのか、わたしは笑ってこう応えました、きみは幽霊を見たのだろう! 彼は顔を赤らめ、もう一度足を上げてわたしに見せました。容易に予見できたはずですが、その試みはうまくいきません。彼は困惑したまま三度、四度と足を上げ、おそらくさらに十回は足を上げたでしょう。無駄でした! 彼には同じ動きを生み出すことができなかったのです。――それどころではありません、彼の動きには滑稽なところがあって、わたしは笑いを抑えるのに苦労したほどです。」

 「この日、あるいはいわばこの瞬間を境に、理解不能な変化がこの若者に生じました。彼は終日鏡の前に立つようになりましたが、魅力は一つまた一つと彼を去ったのです。不可視の、理解不能な暴力が、まるで鋼鉄の網のように、彼の身振りの自由な戯れを取り囲んでしまったかのようでした。一年が過ぎると、それまで周囲の目を楽しませていた愛らしさの痕跡は、もはや見つかりませんでした。この奇妙で不幸な出来事の証人となる目撃者は健在ですから、わたしが語ったとおり、一語一語追認してくれるでしょう。」――

「この機会に」とC氏は親しげに言った、「わたしはあなたに一つ別の話を語らなければなりません。この場にふさわしい話ですから、あなたには理解しやすいことでしょう。」


<メモ>

・「円環状をなす世界の両端が互いに手を伸ばしあう点」について、DKV版の注は以下のとおり。「Sydna Stern Weissが明らかにしたように、クライストはここで非ユークリッド幾何学のテーゼを参照している。クライストの時代、A. G. Kaestner (Vgl. Anm. 535,21)やGeorg Kruegel、クライストが個人的に知っていたKarl Friedrich Hindenburgによって主張されていた説である。この考えによれば、否定的に無限なもの(ここでは意識の不在)と肯定的に無限なもの(完全なる意識)は互いに無限に分かれていくのではなく、ある<観念的な点>において(in einem )合流する。」

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