2010年11月14日日曜日

政治・経済・生活(4)

1.フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク『隷属への道』(春秋社)

個人主義とは、「人間としての個人」への尊敬を意味しており、それは、一人一人の考え方や嗜好を、たとえそれが狭い範囲のものであるにせよ、その個人の領域においては至高のものと認める立場である。それはまた、人はそれぞれに与えられた天性や性向を発展させることが望ましいとする信念でもある。 [10頁]

真の自由主義者の政策が目指すところは、社会の諸力がうまく動いていくのを助け、必要とあらばそれを補完していくことであり、そのために第一にしなければならないことは、その力自体を理解することであった。 [15頁]

諸個人の活動が相互にどのような影響を生み出しているかを自動的に記録し、同時に、諸個人がどんな決定をしたかという結果を明らかにし、またそれに従って諸個人が決定を下していくためのガイドとなるような、何らかの記憶装置が必要になる。[…]一見不可能に思われるこのような機能、他のどんなシステムも請け合うことのできぬこの働きを、まったく見事に果たしているのが、競争体制における「価格機構」なのである。 [59-60頁]

現代文明がさらに複雑になればなるほど、中央統制が必要になるのではなく、逆に、意図的な統制に頼らない方法を用いることがより重要になってくるのである。 [61頁]

われわれの複雑な社会が崩壊してしまわないようにするためには、二つの道しかなく、一つは、市場における個人を超えた非人格的な、非合理にさえ思われる諸力に身を任せる道で、もう一つの道は、これと等しく人々にとっては制御不能で、したがって恣意的なものにすぎない権力を、他の人々が振るうことに対して身を任せる道でしかない。 [280頁]

様々な行動規範というものは諸個人によって生み出され、進化させられてくるものであり、それこそが、社会集団の政治的行動がどのような道徳的規準を持つかを決定していくのである。それなのに、個人的な行動に関する道徳基準が緩んでいる一方、社会的な行動基準がレベルアップしている、というようなことがあるとすれば、これはまったくのところ驚くべきことではないだろうか。 [293頁]

あらゆる権力や最も重要な決定の大半を、普通の人が調査したり理解するにはあまりに巨大すぎる組織へと任せることになれば、民主主義を維持していったり、その発展を育て上げていくことができなくなるのは必然である。民衆一般や将来の指導者たちのために、政治的訓練をしてくれる学校を提供するのが地方自治である。この地方自治という偉大な手段に依存せずに、民主主義がうまく運用されたためしはどこにもない。普通の人々が公的な事象に、自分たちが知っている世界と関わりがあるという理由で真剣に関与できるのは、次のような場合だけである。すなわち、大半の人々が身近によく知っている事柄に関して、これらに対する責任がどういうことであるかを学び取ることができ、実際にも責任を取ることができる場合である。言い換えれば、人々が行動する際の指標となるのは、人々の必要についての理論的知識などではなく、近隣の人々への気遣いのようなものである場合、ということである。政治的な手段や措置の関係する範囲が大きくなりすぎて、そこで必要とされる知識は官僚だけがほぼ独占的に握っているという状態になってしまうと、民間の人々の創造的な衝動は必然的に衰えていく。この点については、オランダやスイスなどの小国の経験は極めて貴重なものであり、大英帝国のような最も幸運な大国でさえもそこに多くを学ぶことができると私は信じている。様々な小国が生存していくのに適切な世界を創り出せるなら、世界の人々の全員がこれによって利益を得ることになるのは間違いない。 [324-325頁]


2.

 大きな政府か小さな政府かという議論は無意味で、「遠い政治」か「近い政治」かという問題にしか重要性はない。そしてやっぱり、なんだかんだいって「個人」は大事で、「個人」から始めるしかない。この二つは別個の問題ではなく、相互に影響を与え合う。したがって、必ずセットで考えなければならないし、連動する仕組みが必要になる。

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