2010年11月20日土曜日

クライスト(6)

喜劇「アンフィトリュオン」(Amphitryon, 1807)

1.あらすじ

二人の神様が人間の姿をとって現われたので、みんなが困る。


2.メモ

2.1 重要

・Riß。クライストの作品においては、どこかに必ず「ひび」が入る。その「ひび」をめぐって思考実験が行われる。「ひび」が入ったときでもunerschütterlichなものとはなにか、ということがクライストの典型的な問い。カント危機。

・裁判劇。証拠、証人、証言。自分を証明するための裁判。力で解決することはできない。また、証人として「民衆」があらわれる。「チリの地震」における「自分の証明」とも比較せよ。

・fallenが問われる。Los fallen(サイを投げる、運命を決する)とUrteil fallen(判断する、判決を下す)。判断力批判。判決力批判。

・「判断」とは何か。何が「判断」を決するのか。「言葉」か、「感覚」か、「心」か。

・「わたし」が問いになった時点で「主体」は敗れるのか。しかし、「わたし」は問いに対する答え(=他者にとっての「わたし」)としてしか存在しない、というのがユピターの教えでもある。「わたしは誰か」は、自分で決め、自分で言うものではなく、相手に言わせるもの、相手が決めるもの。

・ユピターの答えは、「わたし」は「あれでもあり、これでもある」。

・アンフィトリュオンは、なぜ見返りに「息子」を求めるのか? 家族のテーマ。

・ラストシーンの「ああ!」。それは「言葉」なのか。一つの「意味」を付与できるのか。


2.2 その他

・さまざまな「性格」。ゾージアスはプラグマティスト。分身と「双子」で構わないと言う。また、問題が神によって起こされていたと知っても畏れおののかない。

・何も知らない王と神の対比。オイディプス? 舞台もテーベ。

・理性的vernünftigとはなにか。

・AとJの問題。よく意味がわからない。これがアルクメーネーにとっては決定的。「拾い子」と比較せよ。TäuschungとTausch?

・「報告者」の分身があらわれる。クライストにおいて「報告者」はしばしば「語り手」。その確かさが崩れる。Zeitungを運ぶ者としての報告者。

・分身。分身との出会い。二重化。Doppelter。

・Das Ich=「その私」/「自我」

・ゾージアスとメルクールの関係。「戦い」に負けた者は「わたし」が誰なのかについても命令に服するしかない。

・自分で自分を意識できないこと。夢? しかし完全な夢や眠りは全く出てこない。「わたし」についての「知」が「わたし」なのか。

・「わたしがわたしでないとしても、わたしはなにかetwasであるはずだ」。

・Schuldとschuldig。「罪」=「なにかを負っている」とは?

・「知らずに犯した罪」の問題。姦通。

・結局神様の魅力に人間はかなわない。

・Recht haben=正しい/権利をもつ。

・さまざまな「区別 Unterscheidung」。夫と恋人、徳と愛。

・感情をもった神。「機械仕掛け」ではない。「誤解」を恐れ「約束」をさせるのはユピター。

・「語り」「言葉」の信用の問題。信頼のテーマ。もっとも信頼できるものは何か? 五感ではなく、「心」。

・「主人公」は誰か。アルクメーネー?

・entsosiatisieren, entsmphitryonisieren.

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