2010年11月23日火曜日

クライスト(7)

「ハイルブロンのケートヒェン あるいは火の試練 偉大な歴史的騎士劇」
(Das Käthchen von Heilbronn oder die Feuerprobe. Ein großes historisches Ritterspiel, 1810)

1.あらすじ

夢の中ですでに恋に落ちていた男女が、いろいろあってようやく現実でも結ばれる。


2.メモ

2.1 重要

・さまざまな裁判(Gericht)。秘密裁判と神明裁判、また、最後の審判(裁判)への言及。裁判に対してどのような信頼をおき、どのような態度をとるか。ケートヒェンは裁判所の問いかけには答えず、シュトラール伯の質問と命令にしか反応しない。なぜなら問題は「事実」ではなく「心」だから(「こわれがめ」のイブと比較せよ)。非人称的な「機関」との関係のもち方の複数のモデルが示されている。また、Richterとは誰か、という問題。誰がRichterでありうるか。Richter(裁判官)、richten(方向付ける)、Recht(法/権利/正義)、recken(手足を伸ばす)、aufrichten(まっすぐに立てる、起こす)。テオバルトとシュトラールも裁判において対照的な「語り」を見せる。テオバルトは宗教や神話を引き合いに出す。「こわれがめ」の村民の語りと比較しうる。近代的な意味での裁判所における語りではない。歴史や価値を語る。

・戦争。ただし、「文書」をめぐる戦争。クニグンデ=土地売買契約の無効を求めて策を弄する。Fehdeという言葉が一回出てくることに注意。「文書」と「権利」。文書を手に入れること、受け取らないこと、自ら破り棄てること、等々。「文書」をめぐる戦争は、ナポレオン戦争のことも示唆されているかもしれない。「文書」さえ手に入れば、相手を殺す必要も民意を味方につける必要もない。「文書」を意味するさまざまな言葉があらわれる。すなわち、Pakt, Dokument, Papier, Rolle, Schreiben, Urteilなど。皇帝がケートヒェンを自分の子供であると認める「文書」。ケートヒェンとシュトラールの「結婚」もまた「文書」をめぐって勝ち取られる「戦い」である。「文書をめぐる戦い」として捉えれば、戦争、契約、養子縁組、結婚、民事・刑事事件は同じレベルで考えることができる。

・「信頼せよ、信頼せよ、信頼せよ!(Vertraue, vertraue, vertraue!)」が一つの主題。ケートヒェンは信じ続けた。

・忘我、意識を失うこと。シュトラール伯もケートヒェンも、意識を失ったときの方が多くを知っているし、より正しい行為をする。クライストにとっての無意識。ペンテジレーアをはじめ、比較の対象は多い。また、無意識/夢/忘我と死の関係。シュトラールは一度死に、幽体離脱する。分身、分裂。セリフにもあるが、墓と揺り籠の同一視。死と誕生の同一視! それは「人形劇について」における「歴史のひとめぐり」につながる。sinkenやfallenとsteigenやaufgehenの関係にもつながるだろう。二重になること、ドッペルゲンガー。シュトラールのセリフ「ich bin doppelt.(二重になってしまった)」。クライストもまたGeistという単語を使うが、それは「精神」というよりも「霊」「魂」。クライストにおいては、一つのもの(目覚めた主体)が成長していくのではなく、一つのものがもう一つのものと出会う、あるいは自らのなかにもう一つのものを発見する。fremdかつheimlichな分身。

・予知夢、運命。全てが決まっている。だとしたら自由意思はどうなるのか。クライストは「意志」と「行為」も重要視していたのだから。

・「近代」と「前近代」の境界面にあるのは「声」かもしれない。Stimmen sammeln=「声を集める」=「評決(裁定)する」かつ「(選挙で)投票する」。近代、あるいは民主主義と「声」の関係。声と民意。クライストにおける「声」は、カール・シュミットの「喝采」に近い。「チリの地震」参照。

・「罪(Schuld)」とはなにか。Schuldだけで考えるのではなく、schuldig, verschuldenといった言葉とともに考えること。返済すべき負い目が残っている状態。だからこそSchuldはまた「借金」を意味する。宗教的、道徳的であると同時に、社会的、経済的な言葉! 

・Volkの存在。随所にVolkが顔を見せる。


2.2 他の作品と共通する要素

・ケートヒェンの「父親」テオバルト親方 → またしても「職人」。

・テオバルトのせりふ「山道には割れ目がある」、「神が継ぎ合わせたものを人が引き離してはならない」。

・手紙の誤配。偶然がもたらしたVerwechselungという問題。

・「火の試練」→火事になった建物が崩れ、瓦礫に埋まり、そこからケートヒェンは生き延びる。ケートヒェンは一度sinkenする。それもまた死=誕生ということなのか。

・表面と背後の関係。クニグンデは物理的に表面と背後が分かれているが、精神的な主体としては統一的である。他方、ケートヒェンとシュトラールは精神的に表面と背後が分裂している。クニグンデはせいぜいのところ「飾ること=演技」ができる「俳優」である。ケートヒェンとシュトラールは「人形」になった。

・符牒。「肖像入りのメダル」。

・占い。「鉛占い」という小道具。


2.3 その他

・前半がとにかくめちゃくちゃ。長く、わけがわからない。ひたすら過剰。

・ロマン派っぽいところがある。山、森、洞窟、雷鳴、夢。1)クライスト自身がどこまで意識していたか。共感とパロディと双方の意味で。ノヴァーリスに影響を受けたという指摘もある(Handbuch)。2)ロマン派との近さと遠さを検証すること。

・「火の試練」が変。クニグンデの利己的な意図から試練が生じる。まったく神聖な発端ではない。むしろたまたま試練になった、というほどの形式。また、ケートヒェンとシュトラールの幸福は、実質的に事前に運命として定められている(prädestiniert)わけだから、なぜ試練が必要なのか、謎。シュトラールが真実に気付くためのきっかけ、あるいは手続き、プロセスのひとつということか。たしかに「火の試練」においてクニグンデとケートヒェンの対比は最も鮮明になる。

・名前とその変更。「ハイルブロンのケートヒェン」が「シュヴァーベンのカタリーナ」に。

・クニグンデは生き延びた。

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