辞書もいろいろだが、ドイツ語を本格的に勉強するなら、Hermann Paulの語源辞典『Deutsches Wörterbuch』は役に立つ。
外国語を日本語に翻訳して理会する。そのときの「言葉の意味」は、どのように決定できるだろう? 独和辞典を引き、限られた訳語の可能性の中から選択すればいいのか? ならば独和辞典は万能であり、そこに挙げられた訳語以外の可能性は存在しないのか? もちろんそんなことはない。その点が独和辞典(英和でも仏和でも同じだろう)の限界だ。
「言葉の意味」は常に文脈においてしか決まらない。その認識が決定的に重要だ。
私見では、文脈には大きく分けて四つある。まずは対象となるドイツ語単語が現代においてとりうる意味の幅という水平的な文脈。他方、そのドイツ語が歴史的にどのような意味の変遷を遂げてきたかという垂直的な文脈。さらにその単語の訳語として選択しうる現代日本語の水平的文脈。そしてその歴史的変遷という垂直的文脈。それら四つの軸が交わる地点で訳語を決定することが、言葉を出会わせ、更新する行為としての外国語理会であり、翻訳だ。
パウルの語源辞典は、大学3年生のときに慶応時代の恩師・大宮勘一郎先生に教えていただいた。すばやく情報を取り出すことこそ現代においてもっとも重要な言葉の使用法だが、言葉との関わり方はそれだけではない。政治、公共、憲法、社会など、思考することが困難な対象は、必ず言葉としての特殊な事情を抱えている。逆に言えば、言葉自体の抱える事情をさぐることは、その概念を思考する大きな手がかりになる。日本語に関してもそう言えるし、ドイツ語を遡ってみるのも一つの手だ。
歴史の集約点としての言葉、歴史の交流の場としての言葉の姿を垣間見るために、パウルの語源辞典をぜひ使ってみていただきたい。
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