今日の演劇時評。
*原発のストレステスト実施へ
政府は、国内の全原発を対象に、災害や事故など過酷な事態への耐久性を調べる「ストレステスト」を行う方針を示した。ただし具体的な中身は不透明であり、1週間程度で内容を固めるというスケジュールも適切なものか疑問が残る。
福島の事故が起こった以上、ストレステストは実施すべきだ。むしろずっと早く実施すべきだった。事実、河野太郎氏は2ヶ月前からストレステストに言及している。また、EUは、6月から加盟国の原発に対しストレステストを開始した。事故が起こった日本はEUよりも対応が遅い。
今回の決定は唐突な印象を免れない。6月末の国際原子力機関(IAEA)閣僚級会議で全原発保有国に対するストレステスト導入が合意されていたという意見もあるが、これは飽くまでIAEA事務局が行動計画案を策定する際に参考意見として活用される「議長総括」に含めることを合意しただけであり、国際合意ではない。
わたしのツイッター・タイムライン上では、菅首相の「反原発」的政策に喝采を送るひとが多い。しかし望ましい結果が得られるならプロセスを問う必要はないのか。菅首相の政策の「動機」は問うまい。精神を忖度しても仕方がない。しかし法的・政治的プロセスのあり方は民主制にとって本質的に重要だ。そうでなければ、ポピュリズムさえ存在すれば国民投票は必要ない、ということになる。
プロセスの重要性はもう一点ある。今後、例えばこのストレステストで日本経済が打撃を受けた場合、日本国民はそれを菅直人首相の責任とするだろう。そしてその頃にはもはや菅首相は官邸にいないだろう。適正なプロセスを構想できなければ責任は常に「自分以外の誰か」に押し付けられてしまう。反省、改善、更新は存在しえない。プロセスこそ責任そのものだ。だからこそ結果だけに一喜一憂してはならない。
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