丸山眞男「歴史意識の『古層』」(『忠誠と反逆』所収、ちくま学芸文庫、1998年)
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「なる」が「なりゆく」として固有の歴史範疇に発展するように、「つぎ」は「つぎつぎ」として固有の歴史範疇を形成する。そうして「なる」と「つぎ」との歴史範疇への発展とともに、両者の間に生まれる親和性をなによりも象徴的に表現するのが、血統の連続的な増殖過程にほかならない。
「次」もツギであり「継」もツギである。[…]「万世一系」のイデオロギー的な強みは、「一君万民」という単独者の支配[モノ・アルキア](中華帝国の場合)にあるよりは、むしろ右のような意味で皇室が、「貴種」のなかの最高貴種(primus inter pares)という性格によって「社会的」に支えられていた、という点にあった。そうして、宗教的な超越者にも自然法的普遍者にもなじみにくい日本のカルチュアにおいて、「つぎつぎ」の無窮の連続性は、[…]「永遠者」の観念に代位する役割をいとなんだのであった。[378−380頁]
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「つぎ」「つぎつぎ」という時間的継起性の表象が一種の「固定観念[イデー・フィクス]」となって、芸術的形式にまで高められた代表的な例として、日本の絵巻物、とくに、説話絵巻に表現されるような連続式絵巻を挙げることができよう。元来、絵巻の本国である中国では、「要するに画巻とは、単に巻いておくことがもっとも便利なだけの横披画に過ぎず、それを展げて見る場合に右から見ても左から見ても一向に構わない、という根本観念が常にあった」といわれる。ところが絵巻という形式が日本に輸入されたとき、巻子を右から左へ順次にくりひろげて行くという一方的な方向性をとりながら、それによって、事件の時間的継起を鑑賞者にいわば共有させるところの、美術史家のいわゆる「異時同図」の手法を見事に開花させた(一方的進行はいうまでもなく、「時間」の特質のもっとも直截な空間的表現である)。[384頁]
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「徳」があるから「いきほひ」があるのではなくて、逆に「いきほひ」があるものに対する讃辞が「徳」なのである。[388頁]
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日本神話において人格神の形でも、非人格的な「理」ないしは「法[ダルマ]」の形でも、太極・「全一者」(ekam)・太一(『史記』、『呂氏春秋』)・本不生際(『大日経』)などにあたる絶対的始原者または不生不滅の永遠者がいないことは、神道を「神学」にまで体系化しようとするイデオローグを昔から悩ませて来た。けれども、摂理史観や規範主義的史観の確立にとっては都合の悪いこうした「欠如」こそ、かえって「いきほひ」の歴史的オプティミズムを支えてきたのであり、むしろそれは生成のエネルギー自体が原初点になっている(はじめに「いきほひ」ありき!)という特殊な「論理」の楯の反面にすぎない。したがって、新武創業説話において、ムスヒの霊が呼び起こされ、また、さきに見たアマテラスの「いつの雄たけび」がそのままリフレインされてる(『記』)ように、歴史的劃期においては、いつも「初発」の「いきほひ」が未来への行動のエネルギー源となる傾向が見られる。[394頁]
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以上、日本の歴史意識の古層をなし、しかもその後の歴史の展開を通じて執拗な持続低音[バッソ・オステイナート]としてひびきつづけて来た思惟様式のうちから、三つの原基的な範疇を抽出した。強いてこれを一つのフレーズにまとめるならば、「つぎつぎになりゆくいきほひ」ということになろう。念のために断っておくが、筆者は日本の歴史意識の複雑多様な歴史的変遷をこの単純なフレーズに還元しようというつもりはないし、基底範疇を右の三者に限定しようというのでもない。こうした諸範疇はどの時代でも歴史的思考の主旋律をなしてはいなかった。むしろ支配的な主旋律として前面に出て来たのは、――歴史的思考だけでなく、他の世界像一般についてもそうであるが――儒・仏・老荘など大陸渡来の諸観念であり、また維新以降は西欧世界からの輸入思想であった。ただ、右のような基底範疇は、こうして「つぎつぎ」と摂取された諸観念に微妙な修飾をあたえ、ときには、ほとんどわれわれの意識をこえて、旋律全体のひびきを「日本的」に変容させてしまう。そこに執拗低音としての役割があった。[402頁]
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この歴史的相対主義の土壌が「おのづからなりゆくいきほひ」のオプティミズムに培われているかぎりで、それは理想社会を太古に求め、それを基準として歴史的現実を裁くという意味での「復古主義」とも、また反対に、未来に歴史の目標を託し、現在をその目標へのステップと見る「進歩の観念」とも、所詮は摩擦せざるをえない。[408頁]
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こうして古層における歴史像の中核をなすのは過去でも未来でもなくて、「いま」にほかならない。われわれの歴史的オプティミズムは「いま」の尊重とワン・セットになっている。過去はそれ自体無限に遡及しうる生成であるから、それは「いま」の立地からはじめて具体的に位置づけられ、逆に「なる」と「うむ」の過程として観念された過去は不断にあらたに現在し、その意味で現在は全過去を代表(re-present)する。そうして未来とはまさに、過去からのエネルギーを満載した「いま」の、「いま」からの「初発」にほかならない。未来のユートピアが歴史に目標と意味を与えるのでもなければ、なるかなる過去が歴史の規範となるわけでもない。[…]「今も今も」は、たえず動きゆく瞬間瞬間を意味しながら、同時にそれが将来の永遠性(常磐に堅磐に)の表象と結びついている点で、まことに日本的な「永遠の今」――ヨリ正確には「今の永遠」――を典型的に示すものであろう。[413−414頁]
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歴史的認識は、たんに時間を超越した永遠者の観念からも、また、たんに自然的な時間の継起の知覚からも生まれない。それはいつでもどこでも、永遠と時間との交わりを通じて自覚される。日本の歴史意識の「古層」において、そうした永遠者の位置を占めて来たのは、系譜的連続における無窮性であり、そこに日本型の「永遠の今」が構成されたこと、さきに見たとおりである。この無窮性は時間にたいする超越者ではなくて、時間の線的な延長のうえに観念される点では、どこまでも真の永遠性とは異なっている。けれども、漢意・仏意・洋意に由来する永遠像に触発されるとき、それとの摩擦やきしみを通じて、こうした「古層」は、歴史的因果の認識や変動の力学を発育させる格好の土壌となった。ところで、家系[いえ]の無窮な連続ということが、われわれの生活意識のなかで占める比重は、現代ではもはや到底昔日の談ではない。しかも経験的な人間行動・社会関係を律する見えざる「道理の感覚」が拘束力を著しく喪失したとき、もともと歴史的相対主義の繁盛に有利なわれわれの土壌は、「なりゆき」の流動性と「つぎつぎ」の推移との底知れない泥沼に化するかもしれない。現に、「いま」の感覚はあらゆる「理念」への錨づけからとき放たれて、うつろい行く瞬間の享受としてだけ、宣命のいう「中今」への讃歌がひびきつづけているかに見える。すべてが歴史主義化された世界認識――ますます短縮する「世代」観はその一つの現われにすぎない――は、かえって非歴史的な、現在の、そのつどの絶対化をよびおこさずにはいないであろう。[422−423頁]
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