2011年7月12日火曜日

[読書B2]日本藝能史

折口信夫『日本藝能史六講』(講談社学術文庫、1991年)

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平たく申しますと、藝能はおほよそ「祭り」から起つてゐるものゝやうに思はれます。だが、このまつりといふ語自身が、起源を古く別にもつてをりますので、或は広い意味に於て、饗宴に起つたといふ方が、適当かも知れません。つまり宴会の形において、まつりが行はれてをりましたが、まつりの形自身も世の中が進むと共に変つて来たのです。現代人はまつりといへば、社々に行はれるまつりのみしか考へ泛べぬ様にさへなつてゐますが、昔のまつりはもつと家庭のやうな、決して始終森閑として何にもないところにまつりが行はれてゐたといふ、天狗祭りの様なことではなかつたのであります。

譬へば一軒の家の中に、時を定めて非常に盛んなる饗宴が催される、さういふ時に既にある形に達した藝能が興つて来たものだ、といつて大体差支へないと思ひます。[19頁]

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あるじはまれびとの力によつて、家又は土地に居るところの悪いものを屈服させてもらひたいといふ考へがありますが、その事をまれびとがして行つてくれます。従ってここに於てまれびとを迎へた効果が、十分にあつた、ということになります。それ故にまた、さういふことをしてもらふ為にまれびとを招く、といふ風になつて来ます。[26頁]

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また饗宴には、「見物」といふものは、純粋な意味ではありません。[…]

つまり舞をまふといふことは、神に背かないといふことを前提としての行為なのですから、そこにはほんたうの見物人はあり得ないのです。後に発達してきた盆踊りを考へてみても、或は現在行はれる畿内近辺の湯立て神楽でも、東京近辺の里神楽でも、東北の山伏神楽でも、出雲・九州の神代神楽でも、いづれもほんたうの意味の見物人はありません。のみならずそこにはほめ詞とか、けなすあくたいの語があります。[32頁]

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家を訪づれるまれびとでも、その家の位置が高いと座敷に上らないで座で饗宴を受けて帰るものがあつたやうに、それとは違ふが客として待遇されぬ訪問者があります。私はこれを招かれざる客といふ名をつけてゐますが、まつりをすると羨ましがつて見に来るものがあつて為方がないのです。つまり特定の神だけが招かれるので、他の下座の神が羨ましがつて、まつりの饗宴を覗きに来ます。[…]

かやうな訣で、吾々は見物の発生をば、まつりの饗宴の招かれざる客から分化して来たのだといふ風に見てゐます。ともかく日本の藝能では初めから見物を予期してをつたかどうかといふことは非常に問題になります。謂わゞ饗宴から出発した藝能は誰に見せようといふ目的はなかつた。ところがそれをみようといふ目的が出て来てから、見る者の位置がその間に考へ出されて来た。招かれない客の位置がだんだん見物を産み出して来たといふ方が正しいかと思ひます。[34−36頁]

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藝能はどういふ目的をもつてをつたかといふことは、頗疑はしくなります。

無意識の目的は大体考へることが出来る。つまり簡単に言へば、それは一種の鎮め――鎮魂といふことに出発して来てゐるやうに思はれることであります。この鎮魂といふことは、外からよい魂を迎へて人間の身体中に鎮定させるといふのが最初の形だと思ひますが、同時に又魂が遊離すると、悪いものに触れるのでそこに病気などが起るといふことから、その悪いものを防がうとする形のものがあります。

これは支那にもさういふ形がみられるやうであります。ともかく威力をもつてそこらの精霊を抑へつけておくといふことが、家の中のまつりの饗宴の場合に行はれる。此が後に藝能になつたものに通有の目的となるらしいのです。歌を謡ふといふことなども、歌に乗つて来るところの清らかな魂が、人間の身体の中に入る、といふことに最初の目的があつたことは明らかです。[37頁]

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日本の藝能でこの傾向を持つてをらないものはないといふほどの、共通の事項を取出してみるといふことならば、先、第一に挙げなければならぬのは鎮魂とまう一つ同じに考へられ易い反閇[へんばい]といふことであります。[39頁]

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天宇受売命が木槽[うけ]を突き踏みとゞろかして踊つたりしたといふことは、大地に籠つてゐる魂を呼び醒したといふことになりますが――そしてそれが当然に第一の段階を作つたといふことになるが――これはまた悪い魂を抑へつけたことにもなるのです。

つまり踏みとゞろかすといふことは、悪い魂を踏み抑へつけて再び出て来られないやうにする、といふことにもなります。

それでその抑へつける方は何か、といふと、これは反閇であります。これは力足を以て悪いものをば踏み抑へつけるといふ形をする、同時に、悪い霊魂が頭をあげることが出来ないやうに、地下に踏みつけておく形です。このことは日本人のもつてゐる踊といふ藝の中に伝承されてゐますが、このをどりといふ吾々の語は、語自身をみると何の意味もなかつたといふことが訣ります。

つまり下から上にぴんぴんと跳び上ることをば繰り返すやうな動作のことを言うた語です。[42−43頁]

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遊びは日本の古語では鎮魂の動作なのです。楽器を鳴らすこと、舞踊すること、または野獣狩りをすること、鳥・魚を獲ることをもあそびと言ふ語で表してゐますが、これは鎮魂の目的であるからです。つまり鳥、獣を獲つたり、魚を釣つたりするのは悦ぶためだといふ風に解釈されますが、さういふ生物が人間の霊魂を保存してゐるから其を迎へて鎮魂するのです。[54頁]

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田遊びは田に於て鎮魂を行つたといふことではつきりしてゐます。つまり田をできるだけ踏みつけ、その田を掻きならして田に適当な魂をおちつけ、ぢつとさせておき、立派な稲を作るといふことなのであります。

そして田を掻きならすには杁[えぶり]といふ道具を使ひますが、えぶりといふ語の意味は揺り起すといふことなのです。子供を抱いてえぶるといひ、つまりそれは魂を揺すぶることが、同時に安定を誘ふことになるのです。[57頁]

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演劇の昔の伝統を尋ねて行くと妙なことに他には行かないで相撲に行つてしまふことです。これは日本の演劇の正当なものなのです。宮廷では七月に相撲の節会といふものを行ひ、其時期が相撲の季節となりました。そしてこれはどうしても演劇にならなければならなかつたのですが、途中から演劇の芽ばえが起つて来て、相撲はその方面には伸びなかつたのです。[58頁]

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相手の魂を招きこふ動作、それがこひなのです。さうして相手の魂を得ることが出来れば、結局それは自分のものになつてしまふといふことなのでせう。かやうな訣で、だから初めの古い相撲は、勝つ者と負ける者とが予め決つてをらなければならなかつたので、偶然の勝ち負けがあつては困つた訣でせう。といふのは、その勝負によつて一年の収穫の運命が決るものとされてゐたからです。[61頁]

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