日曜日の分の演劇時評。
*節電教育 高橋源一郎氏のツイート 経済産業省 東京都教育委員会
東京電力・東北電力管内で「節電教育」が始まった。「節電教育」教材を作成しているのは経済産業省および各地の教育委員会。原発そのものの事態を収束させることは苦手でも、あっという間にテキストを作成することはできるようだ。
この問題が明らかにしているのは、日本は依然として中央集権的国民国家モデルで物事を動かしている、ということだ。国民一人一人の課題とは、すなわち国家の課題であり、国家の課題を決定するのは受験制度の頂点にいる官僚である。
課題が明白で、単純で、官僚たちがまっとうな能力と問題意識を備えていた時期はそれでよかった。しかし、今回の原発事故を受けての節電にもかかわらず、「なぜ節電が必要になったのか」「これからのエネルギー政策はどうあるべきか」といったことは微塵も考えさせず、ただ節電が必要だから子供は黙って節電しろと言わんばかりの「教育」では、この国を変えようとする有為の人材や、エネルギー政策の転換を好機と捉えるようなものの見方は育まれない。相変わらずの「由らしむべし知らしむべからず」だが、それではこれからの世界では立ち遅れるばかりだろう。
とはいえ、この「日本」という「ただ一つの大きな演劇」を変革しようとしてももはや無駄だ。この「日本」演劇を推進する勢力は、マスメディアを活用して今後も「ただ一つの大きな演劇」を組織し続けるだろう。それと正面から衝突する必要はない。むしろ「日本」の演劇を複数化すること、脱中心化し、遍在化させることが必要だ。「公」と「私」のあいだに大きなグラデーションを生み出すこと、国家以外の場所に公共性を生み出すこと、しかも「私」とダイレクトにつながる公共性を生み出すこと。
演劇は小さく、多く、いたるところに、そして個別具体的にならねばならない。
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