2011年7月1日金曜日

7/1 独裁と時間

 今日の演劇時評。

橋下知事「今の日本の政治で一番重要なのは独裁」

 大阪府の橋下徹知事が、6月29日夜、大阪市で政治資金パーティーを開いた。その際、約1500人の参加者に対して大阪都構想への賛同を求めると同時に、日本の政治に関しては、「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」と述べた。大阪都構想についても、大阪市を抵抗勢力と名指しつつ、「権力を全部引きはがして新しい権力機構をつくる。これが都構想の意義だ」と発言した。

 目的が達成され、ひとまず今よりもよい状況が生まれるならば、その手段は独裁でもかまわないのだろうか? あるいは目的の正邪と手段の正邪は一致すべきか?

 わたしは独裁一般を排すべきものとは考えない。問題はむしろ、その独裁がどれだけの時間を支配しようとしているか、である。ヒトラーはナチ党から政権を奪うことを実質的に不可能にし、またドイツの歴史を書き換えた。彼は過去と未来に及ぶ大きな時間を支配しようとした。彼が独裁を振るった対象は一国一時期の政策ではなく、より大きな枠組みそのものだった。そうした枠組みにおける独裁、手続きにおける独裁を見過ごすことはできない。これは政治だけでなく、組織一般にあてはまると思う。

 現段階での橋下「独裁」に対する是非は、彼の政策に対する評価次第だろう。しかし「独裁が重要」「新しい権力機構をつくる」と言い切る態度には、これからどこまで手を伸ばすか知れないという不安を感じる。大阪府民やメディアは、賛成/反対だけを焦点化してはならない。政策には賛成でも独裁的な手続きには反対など、より繊細な批判が必要とされている。メディアと独裁の関係もあらためて問題提起されるべきだ。

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