10日の分の演劇時評。
*社会関係資本と国家
10日は一歳年上の姉と保育園(2歳くらい)から一緒に育った友人の誕生日だった。今でもことあるごとに助けてもらっていて、二人には感謝している。
3月11日以来、「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」の重要性が指摘されている。ウィキペディアによれば、これは「社会の信頼関係、規範、ネットワークといった社会組織の重要性を説く概念」だ。「端的にいえば[…]地域力、社会の結束力と言ってもよい。[…]「顔の見える付き合い」すべてを指すといっても過言ではない」。
日本の将来はこのソーシャル・キャピタルをどれだけ豊かにできるかにかかっているだろう。それは「マンションのお隣さんと仲良くすべき」とか、「古き良き人とのつながりを取り戻そう」という話ではない。自分にとって必要な相手と関係をもち、互いに援助しあえることが必要だ。
4月に子供が生まれた。いろいろとモノが必要だった。服、ベビーカー、チャイルドシート。すべてもらった。車が必要なときも貸してくれる友人がいる。お金はないが、社会関係資本に恵まれたおかげで、特に不自由なく生活している。
もはや問題は「子ども手当」に象徴されるような金銭ではない。もはや国家は国民に一様に解決策を与えることができない。お金はあっても友人のいないひと、友人がいてもお金がないひと、様々だからだ。問題は極めて多様化、複雑化、個別化しており、国家が上からできることは限られている。
現在の領域国家システムはわずか数百年の歴史しかもたず、おそらく現在、それが本格的に変容していく時期に差し掛かっている。国家は縮小し、社会が拡大すべきだろう。それを大きな方向性として認識し、社会を厚くしていくことが重要だ。
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