2011年7月23日土曜日

[語学B3]白川『字訓』

 辞書に記載された訳語が常に「正しい」とは限らない。

 また、複数の訳語があった場合、辞書は最適なものを選んでくれない。

 「単語の意味は常に文脈においてしか決まらない」と真鍋良一の本で読み、実にそのとおりだと思った。

 ではしかし、いかにして辞書の訳語から自由に考えることができるか?

 ひとつの可能性は、訳語の決定に際して複数の「軸」を導入することだ。

 例えばドイツ語で「Das Ende der Welt」という表現があったとする。もっとも一般的には「世界の終わり」と訳されるだろう。しかしその翻訳が最適と言えるかどうかは、検討が必要だ。

 第一の軸は「作品」。その作品においてEndeやWeltという語がどのように使われているかを検討する。

 第二の軸は「言葉の歴史」。EndeやWeltの語源的意味と、どのような変遷を経てきたのかを検討する。

 第三の軸は「現代の日本語」。現代の日本語に翻訳する際に、どの訳語ならどのような意味と印象を帯びるか。

 第四の軸は「日本語の歴史」。「世界」や「終わり」といった訳語の方は語源的に何を意味するのか。どのように変遷してきたのか。それらはEndeやWeltにふさわしい訳語なのか。

 最低でも以上四つの軸を検討し、全てが交差する(と考えられる)点において訳語は決定される。やはり「世界の終わり」でいいと思えることもあれば、「世の末」「世の果て」などに変わることもあるだろう。

 言葉を交わらせる翻訳という作業は、歴史に潜り、歴史をつくる営みだ。興味がある向きは、ぜひ白川静氏の辞書などを利用して外国語を読んでいただきたい。わたしは『字訓』を愛用している。

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