2011年7月5日火曜日

7/4 議論と意思決定

 昨日の演劇時評。

*松本復興相が辞任


 5日、松本龍復興担当大臣が辞任した。3日に宮城県の村井知事と会見した際の「叱責」を東北放送が放映し、インターネット上を中心に批判が高まっていた。辞任の理由については「個人的な都合」と述べ、明らかにしなかった。

 まず、この問題についてもっとも基本的なことを明らかにしたい。松本氏が批判されるべき第一の理由は、宮城県知事に対して高圧的な態度をとったからではない。その後、「今の言葉はオフレコだ」とし、「書いたらその社は終わりだから」と述べたことが問題なのである。

 この発言のとおり、主要メディアは会見の実態を報じなかった。発言を事後的にオフレコにできるとは、日本のメディアは報道の自由をみずから放棄しているようなものだ。この大臣を通じて見えてきた政治とメディアの関係が問題なのだ。

 その後、東北放送がこの件を報じ、ネット上で周知の事実となってから、マスメディアは後追いで報道した。しかもその際、「知恵を出さないやつは助けない」という発言に問題をすり替えた。政治との関係におけるみずからの自主規制が焦点化されないように歪曲したとしか考えられない。

 一方で、たかだか出迎えなかったくらいで日本の復興を議論する場のマインドセットを変えてしまう人間が大臣であることは、たしかに絶望的な状況だ。

 しかし、感情が理性を悠々と凌駕する、というこの事態は、常に、いたるところで、この国の問題だったし、これからも問題になるだろう。理性と論理を貫徹させることで物事を進めていくというモデルは、日本では不可能なのだろうか。しかしそれは「政治」が不可能性であることを意味するのではないか。いずれにせよ、この国が議論と意思決定のあらたなモデルを必要としていることは間違いない。

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