2011年5月3日火曜日

演劇理論(1)

 欧米や日本で上演されている現代演劇の起源が、古代ギリシャ演劇にあることは、誰もが認めることだろう。

 古代ギリシャ演劇は、喜劇も悲劇も、「コロス」という合唱隊を登場人物のなかに組み込んでいた。というか、この合唱隊こそが演劇の出発点だったと考えられている。「個人」の主人公たちが物語を繰り広げる以前に、「集団」の舞踊と合唱があった。

 ところで、ギリシャ演劇のこの「コロス」を務めたのが、アテネの一般市民だったことは、それほど知られていない。現代の日本であれば、「裁判員制度」のようなものだったと考えていいだろう。

コロスの選抜過程は不明だが、おそらく演劇祭の実行委員長である筆頭執政官が、市民全員が平等に演じる機会をもつような持ち回り制度にしたがって指名したと思われる。(山形治江『ギリシャ劇大全』、論創社、2010年、53頁)

 古代ギリシャの演劇祭は国家行事だったから、このような制度も可能だった。「コロス」としてデビューした市民は毎年219人。「市民」とは成年男子をのみを指し、その総数は紀元前4〜5世紀のアテネで約3万人ほどだったようだ。一方で裕福な市民は、演劇祭のために「コロス」が稽古をするときの休業補償や謝礼を出す義務を負っていた。この義務を「コレゴス」という。金のある者は金を出し、一般市民は舞台に上がったということだ。

コロスの参加義務によって、演劇は市民にとって非常に身近な存在だった。しかも当時は地縁血縁の結束が強かったから、親戚、隣人、友人など知人のだれかは常に舞台デビューを果たしていただろう。「あれが俺の叔父さんだ」「今年は隣の息子が出るぞ」などと客席も大いに盛り上がったにちがいない。(前掲書、53頁)

 したがって、その起源において演劇は、以下のような特徴を備えていた。

① 国家行事/共同体の祭りだった
② 一般市民が参加した
③ 一般市民同士で「見る/見られる」関係があった
④ 「コンテスト形式」の採用によって、政治プロセスに似たものだった
⑤ 娯楽だった

 選挙にも似たところがあるし、ツイッターにも似ている。まずは演劇の起源がこうしたものであることを確認して、これから何回か「演劇理論」について書きたい。演劇は今では芸術の一分野に過ぎず、芸術も社会のごく小さな一部門に過ぎない。しかし以上のような起源に照らせば、現在「演劇」と呼ばれているイベントよりも、選挙やツイッターの方がずっと正しい演劇だ、と主張することもできるのである。

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