2011年5月9日月曜日

5/8 時間を与える

 今日のニュース。

1. 経産相 東電の電気料金値上げ「容認」する考え

 日本テレビ 毎日新聞 zakzak

 日本テレビの映像を見ても海江田経産相が「容認する」とは発言していない。したがってどこから「容認」という単語が出てきたのかわからない。なんとも象徴的だ。震災以来2ヶ月の推移を見て、この国では誰が何に対してどのような権限と責任をもっているのかが非常に曖昧なまま、なんとなく事態が進行していくということがあらためてはっきりした。

 一私企業である東電の商売を経産相が容認するとかしないとかいう話が出てくるのは、電力会社が著しく公共性の高い独占的な企業であり、場合によっては行政による規制が可能だからか。それともすでに容認する/しないための法的枠組みがあるのか。もしくは世論を納得させるために行政が私企業をサポートしているにすぎないのか。政府の発表からもマスメディアの報道からもさっぱりわからない。わからないまま、値上げするとはけしからんとか、経済を沈没させないためには仕方ないとかいう騒ぎになっている。そもそも値上げを阻止する法的経路はあるのか、経産相にどれだけの権限と責任があるのか、そんなことは誰も押さえていない。これは調べなければならない。

 一消費者としては、現時点で電気料金値上げを甘受することなど不可能である。値上げをしなければどれほどたいへんなことになるかもわからないし、値上げ以外にできることはすでにすべて行ったかどうかもわからない(どう考えてもやってないと思うけど)。今の段階で「とにかくすごく大変になるから値上げしかありません。理解してください」と言われても無理である。先日から繰り返すように、値上げなら値上げもでいいから、それを納得させる「時間」をきちんとつくってほしい、ということである。ひとを納得させるためには時間を与えなければならない。

 なにもかもがもやもやした雲のなかで生じているかのようだ。雲のなかで値上げが決定されたりそれが容認されたりしている。今の時代のこの国にふさわしい知識の整備法・活用法を見出さねばならない。今の時代のこの国にふさわしいデモンストレーションを発明しなければならない。

0 件のコメント:

コメントを投稿