2011年5月24日火曜日

5/22 それが問題なのか

 昨日の「演劇的ニュース」。

1. 君が代不起立「複数回で免職」 橋下知事が処分条例案

 1)朝日新聞:君が代不起立「複数回で免職」 橋下知事が処分条例案
 2)ロケットニュース24:橋下知事、君が代不起立教員に激怒
 3)企業法務ナビ:職権濫用か世紀の英断か・・・橋下知事の「君が代起立」条例案
 4)内田樹ブログ:国旗国歌と公民教育
 

 正直、この問題には関心がない。ぼくが読んだり聞いたりするもののなかでは「反対派」が圧倒的多数。「思想良心の自由」とか「表現の自由」とか、とにかく憲法違反で人権侵害であるという主張らしい。ぼくがかじった憲法学の知識では、これは思想良心の自由の問題でもなければ表現の自由の問題でもない。そしてこうした条例を違憲と判断するのはなかなか難しいように思う。免職という処分が適当か否かを争えるくらいではなかろうか。

 しかしそんなこともどうでもいい。ぼくは基本的に「日の丸・君が代」問題には一切関心がない。ぼくは個人的に「日の丸・君が代」にいい思い出も嫌な思い出もまったくない。一方で、他に嫌だったことはいくらでもある。教師が殴ったこととか、体育の種目が選択じゃなかったこととか、歴史の授業が古代から始まるおそろしくつまらないものだったこととか、英語がくだらない教え方だったとか、無数にある。

 「日の丸・君が代」なんてどうでもいい。「日の丸・君が代」の強制に反対している現場の教師たちは、教科書検定制度や各科目の教え方についてもきちんと国や自治体の指導に反抗しているのだろうか? 教育現場でもっとも重要なことは教育である。「日の丸・君が代」に反対することも教育的効果があるかもしれないが、そんなことより歴史や国語や社会の授業をどうにかしてほしい。「日の丸・君が代」が日本の教育界の問題ではない。それがクローズアップされても意味がない。

 本当の問題ではないことを問題として焦点化してしまい、争うのは無益である。不毛である。そんな議論の勝ち負けはどうでもいい。ぼくは子供の日々の生活と未来のために働き、活動している教師は応援したいが、教師自身の「思想良心の自由」や「表現の自由」にはまったく関心がない。いいも悪いもなく、関心がない。

 日本は「本当に大事な問題」を精選する能力、精選する仕組みが脆弱な国だ。「質の高いスペクタクル」は可能なはず。「本当に大事な問題」を精選する能力と、それをスペクタクル化する能力。その二つがどこにも同居していない。それでも可能性はやはりインターネット上にあるのではなかろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿