2011年5月12日木曜日

5/11 「参加」組織の政治性

 昨日読んだ記事の中では以下が非常に面白かった。

「非リア充」のアルカーイダからアラブ革命の「リア充」へ

 どうも日本人は、「反米武装勢力とは、絶大な統率力を持ったボスキャラが支配する邪悪な組織」、と考えがちらしい。ビン・ラーディンが米軍に殺害されて、一週間。「これでテロ集団アルカーイダも終わりだ」と、勧善懲悪映画のラストを見るようなはしゃぎ方が、日本のメディアに見られる。

 米政府がはしゃぐのは、よくわかる。オバマはブッシュが始めた泥沼の「対テロ戦争」に「勝った」と宣伝できるし、9-11後、米国が抱えてきたトラウマからの卒業というイメージを、国民に提供できる。なによりも9-11後10年にあたる今年の中間選挙には、使える材料だ。

 しかし、アルカーイダと呼ばれるネットワークは、ビン・ラーディンが消えたからといって、芋づる式に組織全体が崩壊するような類のものではない。いやむしろ、ビン・ラーディンが象徴していたアラブの若者のトレンドは、すでに一昔前のものとなっている。

 アラブ社会のネット事情と若者の過激化をテーマに研究している日本エネルギー経済研究所の保坂修司氏は、高学歴のエリートで家族にも恵まれた若者が、「ジハード」への情熱に駆り立てられて、アルカーイダに身を投じて「自爆」へと進む様子を、その若者のブログから分析しているが、これが実に面白い。自国(この場合はヨルダンだが)と家族を捨てた彼は、イラクやアフガニスタンの戦場で自爆し、天国に行くことへの憧れ、ロマンを、ネット上で吐露している。

 アルカーイダやビン・ラーディンに惹きつけられる若者たちは、最近のネット用語でいえば「非リア充」を目指してきた。自分の生きる現実世界には存在しない、バーチャルな理想のイスラーム共同体を、自国から遠く離れた地に夢見て、アルカーイダはアフガニスタンに寄生した。そして、現実ではなく死後の世界に楽園を求める。リアルな世界での人生の充実より、二次元のアニメやネット上の非リアルな想像の世界で生きていきたいと考えるのは、ある意味でどこの若者たちにも共通に見られる現象だ。

 だが、「非リア充」としてのビン・ラーディン現象は、今回殺害される前から、すでにピークを越えていたといえる。今年1-2月のチュニジア、エジプトでの「革命」で盛り上がった「リア充」を求める声が、アラブの若者たちを席巻したからだ。

 90年代後半以降の10年間は、情報革命によって爆発的に広がったアラブ世界の若者たちの想像力が、非リアルの世界に向かった時代だった。それが、2000年代後半から今年にかけて、リアルな日常生活を充実させることこそが必要なのだ、と現実世界へと向きを代え、デモに参加し、弾圧されることを恐れない「恐怖の払拭」につながったのだ。

 若者はいつまで「リアル世界の充実」に希望を持ち続けられるだろうか。再び「非リアル世界」にしか充実を求められないような閉塞感がアラブの若者を取り囲めば、ビン・ラーディン現象は復活するかもしれない。

 人間の行動を技術的に組織すること自体が、高度な政治性を有している。

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