4月4日(月)の夜から5日(火)の朝にかけて、妻の陣痛はある程度強まったが、出産に十分な程ではなかったらしい。5日午前9時ころ、陣痛促進剤の点滴投与開始。少しずつ量を増やしていくという。記憶が確かならば、9時半ころに少し増やし、10時半にさらに増やした。
その間ぼくはずっと横にいたわけだが、出産というのは「さあこれから産みます」という「イベント」ではなく、なだらかな「プロセス」であることが、最後の最後であらためてよくわかった。
陣痛促進剤は確実にその効果をあらわし、妻の陣痛は強まっていった。痛みで呼吸がうまくできなくなったり、「体を反らすな」と言われても痛いから反らしてしまったりする。助産師さんがリズムをとったり注意してくれるが、彼女は子供のほうを見ているわけだから、呼吸をつくったり、姿勢がうまくとれるように助けるのは、状況からしてぼくの役割だった。そうして30分、1時間、2時間とずっと目の前のひとと同じように呼吸し、リズムを合わせるというのは生まれて初めての体験で、何度か頭が真っ白になり、倒れてしまいそうになった。が、もちろんぼくが倒れても仕方がない。それにしてもあの時間は、自分が消えて目の前のひととの境界がわからなくなるような、人生で初めて経験する時間だった。「同化」という言葉があとで浮かんだ。
呼吸や姿勢や汗や痛みや叫びや握力や爪や何やらでわけがわからないうちに、突然目の前に「あらた」は出てきたのだった。その瞬間の写真や映像はもちろんないが、彼の姿勢や表情や声を完全に覚えている。決して忘れないと思う。たいへんすばらしい瞬間だった。2011年4月5日(火)午前11時43分だったらしい。
その日の夕方、群馬から東京に戻る新幹線の中で書いた文章はこちら。
[続く]
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