昨日の「演劇的ニュース」。
1. 社会学者ウルリヒ・ベック「問題はわたしたちが反対派を説得できるかどうかです」
Katastrophe von Fukushima: Sind die Deutschen hysterisch?
ベックのインタビューを読んだ。
ベックによれば、ドイツのメルケル首相が原発政策を転換したのは、原発問題が政治の「信用危機」を招きかねなかったからである。政治にとって信用を確保することがどれだけ重要か、日本ではここ3ヶ月、逆の意味で痛感することが多かった。政治の信用は「とにかく安全だから安心してください」といった言葉によって確保されるのではなく、徹底して合理的なプロセスによって実現される。「とにかく安心しろ」は非合理的な要求である。
いわゆる「脱原発」に関しても、ベックがその合理性、経済性を主張し、決してモラルの問題にしていないことが重要だ。彼は脱原発反対派を「断罪」するのではなく、説得できると確信している。日本でも、宗教や集団ヒステリーとみなされることなく、現実的な可能性として脱原発を提起し、議論の「場」をつくるためには、合理的な立論が不可欠だ。合理性こそ「場」そのものであり、合理性を離れては対立する者たちが共有できる「場」はありえない。
共通の基盤の上に相異なる立場がきちんと衝突するような、正統な意味でドラマ的な「場」を組織することは、どのようにして可能なのだろうか。あるいはそれはもはや不可能で、別の可能性を模索すべきなのだろうか。
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