本日のニュース。
1. 91歳の元ナチス看守に禁錮5年
時事ドットコム 独Spiegel
ドイツ・ミュンヘン地裁は今日、ジョン・デミャニューク(John Demjanjuk)被告(91)に対して、ナチ戦犯であるとして禁錮5年の有罪判決を言い渡した。デミャニュークはソビボル強制収容所(ポーランド東部)の看守として、少なくとも27900人の(主にオランダ出身の)ユダヤ人殺害に関わったとされている。
デミャニュークに対して特定の犯罪行為が実証されたわけではないが、ソビボル強制収容所自体が計画的虐殺に使われていたため、そこで働いていた者は全員有罪である、という論理のようだ。「被告は絶滅機械の一部分だった」とアルト判事は述べた。
デミャニュークの弁護士ウルリッヒ・ブッシュ(Ulrich Busch)は、戦後ドイツがナチの高官を無罪放免にした結果、今に到るまで司法はその埋め合わせをせねばならず、デミャニュークはそのための「生贄の山羊」としてこの裁判にかけられたのだと主張した。ブッシュは今回の判決を「司法の願望」と批判している。
被告側は証拠が捏造されたと無罪を主張しており、控訴する方針。
それにしても、このデミャニュークというひとは、もともとウクライナ人で、赤軍の兵士だったところをドイツ軍の捕虜になり、強制収容所の看守として雇われたとのこと。検察側はこのような犯罪に加担させられるようであれば逃亡を企てるべきだったと主張したらしいが、逃亡して捕まったら死刑になっていた。その意味で、この仕事には半強制的に従事させられたのだという弁護側の主張も理会できる気がする…。もちろん半強制的なら無罪ということにはならないのだろうが…。
ナチ戦犯に対するドイツの態度は、ビンラディン殺害を報告した際のオバマの発言「私たちが決して忘れないと言ったときは、必ずやり遂げる」を思い出す。「わたしたち」は何を忘れないのか。あるいは何を忘れないことにするのか。それが正当か不当かは意味のない問いだ。忘れないという事実性が問題なのだから。何か忘れないものがあるからこそ、それを基礎として未来を構築できる。「忘れない」というのは物事の根拠であり、正義も悪も関係のない、「時間」を打ち建てる力だ。
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