村上春樹の作品には、初期から一貫したテーマがみられる。それは「物語」である。彼の作品は「物語」についての物語になっている。
「物語」は単純な善ではない。むしろ両義的なものである。ひとつの「物語」がひととひとを結びつけることもあれば、誰かを決定的に損なうこともある。『ねじまき鳥クロニクル』において、無痛覚症の加納クレタを救ったのは綿谷昇の一見「邪悪」な物語だった。だから絶対的な悪など存在しない。それは反応と効果の問題である。
オウム真理教との関わりを踏まえてなお、村上春樹は『1Q84』の教祖を絶対的な悪として描いてはいない。しかし邪悪でない物語が邪悪な結果をもたらすことがある。「物語」と「悪」こそ、彼の作品が与える最も困難で豊穣な「思考の糧」のひとつである。
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