2011年5月26日木曜日

5/24 エコ独裁と政府の代替

 24日の「演劇的ニュース」。

1. 独の電力会社社長、メルケル首相を「エコ独裁」と批判

 Spiegel1 Spiegel2

 独RWEの社長ユルゲン・グロースマン(Jürgen Großmann)がメルケル首相の「脱原発」路線を「エコ独裁」と批判した。

 メルケル首相が7基の原発を停止したのは、「生命、健康、財産に対する危険が存在するとき」政府が原子力発電所の停止を命令できる旨を、ドイツの原子力法が定めているからである。しかしRWEに言わせれば、停止を命じられた原発は安全基準を守っており、「生命、健康、財産に対する危険」は存在しない。今回の命令は政治的な要請のもとに下されており、法的根拠がなく、したがって「エコ独裁」だというのが発言の背景である。よってこの問題は日本の浜岡原発停止「要請」とは趣が異なる。それについては以前書いた。

 グロースマンはさらに、政府は今日の決定者がもはや誰も統治していない未来に関して、脱原発の具体的な期限を定めるべきではないと主張。エネルギー転換は3年毎に見直すべきであり、そうすれば必要に応じて加速も停止もできると述べた。また、環境への配慮と経済成長の両立に関して疑念をあらわした。

 これに対してメルケルは、環境と経済は同時に配慮できると主張。また、ドイツは他国の原発電力を輸入するために脱原発を行うのではない、と確言した。

 いずれにせよ議論の焦点は定まっている。なにより「原発推進派」である電力会社の提案もそれなりに合理的で筋が通っており、双方の立場はきちんと衝突している印象を受ける。

 翻って日本は、「あれもやるけどこれもやる」「あれも大事だけどこれも大事」で、これから国をどのような方向に進めていくべきか、ビジョンを明確に語る政治家が少ない。しかしそれはおそらく構造的な問題なので、小松左京の短編小説「第二日本国」のように、政府や国会や省庁とは別なところに専門性と実効性のある活動を組織し、現在の「公」を代替していくのがよいのではなかろうか。

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