2011年5月5日木曜日

クライスト没後200年(1)

 2011年はハインリヒ・フォン・クライスト没後200年である。ドイツをはじめ各国ではさまざまな催しがすでに行われ、また今後も予定されている。今後数回、その紹介と分析を行おう。

 クライスト没後200年関連のイベントは、主に以下の二つのサイトで確認できる。

Das Kleist-Jahr 2011
Die Internet-Plattform zum Kleist-Jahr 2011

 クライストに関する展示、演劇祭、国際シンポジウムなどの予定と内容を確認できる。ベルリン・マクシム・ゴーリキー劇場のクライスト・フェスティバルやリミニ・プロトコルの新作「Einen Kleist…」などが最も注目されるだろう。これらももちろん紹介するが、今回は敢えて国際シンポジウムや学会がどのようなテーマで開催されるかを概観したい。

 すでに開催された、あるいは今後開催されるクライスト関連ディスカッションのテーマをざっと書き出せば以下のようになる。

「形式・暴力・意味」
「クライストとドイツ人」
「神よ、これはなんたる世界か!」(ハンガリー、フランス、ポーランド、ドイツにおけるクライスト受容をめぐる国際シンポジウム)
「貴族と著者性」
「クライストの短編小説『聖ドミンゴ島の婚約』―1800年前後のグローバルな文脈における文学と政治」
「ハインリヒ・フォン・クライストの作品における暴力の構築的・脱構築的機能」
「交換と欺き―クライストと経済」
「クライスト後の著作―文学的、メディア的、理論的翻案」
「ハインリヒ・フォン・クライストとモデルネの危機」
「犠牲の経済―自殺にしるしづけられた文学」

 個々のディスカッションで注目すべきものは今後詳しく紹介したい。しかしこうしてテーマを列挙するだけでわかるのは、現在のクライスト研究がいわゆる「文学研究」の領域に極度に偏って行われている、ということである。

 クライスト演劇祭でも議論の場が用意されるようだが、こうした大型のシンポジウムに関して演劇学からクライストに接近することを打ち出しているものがないのは、やや異常にさえ思う。『こわれがめ』はドイツ語で書かれた最高の喜劇と呼ばれ、クライストもまず第一には「劇作家」として認識されているのだから。

 こうした状況の原因はいくつも指摘できるだろう。その一つとして、ドイツの演劇学が作家・戯曲研究から上演研究へとシフトしたことが挙げられる。それ自体はよいことだった。しかしそのシフトがクライストのような「現代的」作家までも置き去りにしてしまい、今日の演劇の理論的・実践的基礎を忘却するなら、演劇学および演劇批評は基礎をもたない浮ついたものになるのではないか。

 個人的な話だが、6年前、大学の学部4年生だった頃、初めてハンス=ティース・レーマンに会った際、クライストを研究したいと言ったら、「クライストはすごく重要な作家だ。彼ほど重要な作家はいない。ぜひやった方がいい」と、こちらが驚くほど熱心なリアクションをもらった。彼が「Kleist/Versionen」というすばらしいクライスト論を書き、ヨッシ・ヴィーラーがデュッセルドルフで『アンフィトリュオン』を演出した際にはドラマトゥルクまで務めていたことを、その当時は知らなかったのである。せめてこの機会にレーマンに語ってもらう機会くらい、演劇の側はつくれないのかと、非常に歯痒く思っている。

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