村上春樹の創作に関して重要なことは、彼が常に「学ぶ姿勢」をもっている、ということである。
村上は『翻訳夜話』において、自分がポール・オースターを翻訳しないのは、オースターから文学的・文章的に学ぶことがないからだと語っている。また、『ノルウェイの森』を書いたのはリアリズムの手法を一度きっちり通過する必要があったからだという意味のことも、どこかで発言している。
こうした形式的なことだけではない。彼の作品群にあらわれる変化は、そのひとつひとつがすべて意味あるものである。たとえば、登場人物に名前がなかった初期作品から名前があらわれることの変化。あるいは独身男性の物語から夫婦の物語への変化(『ねじまき鳥クロニクル』)、さらには子供の物語(『海辺のカフカ』)、また妊娠の物語への変化(『1Q84』)。
『ねじまき鳥クロニクル』の核心部分にありながら示唆にとどまっていた「妊娠」のモチーフが、『1Q84』では前景化される。おそらく『ねじまき鳥』の時点ではまだはっきりと扱うことができず、その後の創作と思索を経て『1Q84』で辿り着いた、ということなのだろう。
村上春樹は非常に論理的で合理的だ。自分の現在地をはっきりと自覚し、そこから次にとるべきコースを判断し、必要なトレーニングをみずからに課す。とても身体的、肉体的だ。体力が続くところまで行き、次の課題を見出す。抽象的に、肉体を離れて、一気に遠くまで行こうとしない。論理と労働と進歩を実践している作家なのだ。
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